焼き物を科学する③:美しさを追求した釉薬(市川しょうこ/化学者)
釉薬の美しさを科学する
シリーズ「焼き物を科学する」では、焼き物がどのように形作られ魅力へと繋がっているのかを、科学の視点から探究しています。前回の「焼き物を科学する②:粘土が固く丈夫な焼き物になるまで」では、粘土という素材と、それらが化学反応によって焼き物へと変わるプロセスを解説しました。
今回からは二回にわたって、焼き物の重要な要素である「釉薬(ゆうやく)」に焦点を当てます。焼き物の表面を覆うガラス質の層として彩りや光沢を生み出す釉薬は、耐水性や耐熱性を高めるものでもあります。「美しさ」と「機能」という二つの側面から焼き物の魅力を形作る重要な役割を果たしているのです。
本記事では、釉薬の美しさに注目し、どのようにして鮮やかな色彩や魅力的な質感を生み出しているのかを紐解いていきます。
釉薬とは
釉薬は、焼き物の表面を覆うガラス質の層で、陶器の美しさや機能性を大きく左右する重要な要素です。その歴史は古く多様で、古代エジプトや中国をはじめ、日本でもその技術が発展してきました。
古代エジプトやメソポタミアでは紀元前3000年頃から、また中国では紀元前2000年後期より、釉薬を用いた焼き物作りが行われてきました。日本では奈良時代末期の須恵器に釉薬が使われた形跡が残っています。当時の釉薬は、陶器の素地に含まれる成分が高温の熱でガラス化したり、燃料の灰に反応して偶然生まれたものでした。しかし、次第にそのガラス質の層を人工的に生み出す技術が発展していきました。
釉薬の主な成分は、シリカ、アルカリ成分、そして金属酸化物です。骨格となるシリカは焼成時にガラス化し、釉薬に硬さと光沢を与えます。ナトリウムやカリウムなどのアルカリ成分はシリカの融解を促し、釉薬がガラス化する温度を適切に保ちます。金属酸化物は顔料のような役割を果たし、釉薬の色彩を多様に変化させます。例えば、銅酸化物は緑や赤、コバルト酸化物は鮮やかな青、鉄酸化物は茶や黄といった色合いを生み出します。
金属酸化物が生む色彩の魔法
釉薬の色合いは、焼成温度、焼成雰囲気(窯内のガスの組成)、昇温速度、冷却速度、焼成炉の種類、使用する燃料、さらには釉薬の組成や構造、素地の成分や色など、細かな条件一つひとつによって大きく左右されます。
それら諸条件の中心的な要素となるのが、釉薬中に含まれる金属酸化物です。高温で焼成する際、これら金属酸化物が化学反応を起こし、特有の色彩を生み出します。その中でも特に重要なのが「鉄」と「銅」です。今回は代表的な発色元素である鉄に注目し、その化学のメカニズムを解説します。
上の写真の焼き物は、褐色の背景に、黒色の絵付けがなされているように見えます。この陶器は「鉄釉陶器(てつゆうとうき)」と呼ばれ、実は、褐色の部分も黒色の部分も酸化鉄によって発色しています。同じ酸化鉄を使っているにもかかわらず、その色合いがまったく異なることに気付くでしょう。これは、釉薬が金属イオンの特性を活かして発色しているためです。
一般に「金属」と聞くと、冷たくて硬い銀色の塊をイメージしがちですが、金属イオンはそれとは大きく異なり、周囲の環境によってさまざまな色に変化する性質を持っています。例えば私たちの体内を流れる血液内の赤血球を構成するヘモグロビンにも鉄が含まれています。ヘモグロビンの「ヘム(heme)」という部分には二価の鉄イオン(Fe²⁺)が含まれており、この鉄イオンが赤い色素を形成するため、血液が赤く見えるのです。
釉薬に含まれる酸化鉄の量や焼成条件によって、鉄イオンはさまざまな化学状態に変化し、それに伴って色も変わります。ここでは、酸化鉄を約2%含む釉薬を例にとり、鉄イオンの状態と色彩の関係を見てみましょう。
1,100度以上の高熱で空気を送り込まずに焼成する(還元雰囲気)ことで、鉄イオンは一価の鉄イオン(Fe⁺)と変化し「青磁色(せいじいろ)」と言われる発色を示します。この色は、青緑の美しい釉薬として知られており、還元雰囲気下でのみ得られる特有の色合いです。
他方で、空気を送り込みながら焼成する(酸化雰囲気)と、鉄イオンは二価の鉄イオン(Fe²⁺)となり、黄色い色合いを示します。これは酸化鉄が二価の状態で発色することによるもので、焼き物に鮮やかな発色をもたらします。
低温焼(900度)の還元雰囲気下で焼成すると、鉄イオンは三価の鉄イオン(Fe³⁺)となり、落ち着いた暗灰色(グレー)の釉薬を生みます。鉄が酸化して色を失った状態です。
高濃度酸化鉄(約8%)を含む釉薬を使って、1,100度以上の還元雰囲気下で焼成すると、鉄イオンの価数が四価(Fe⁴⁺)に変化し、赤色を示します。この高濃度の鉄イオンが生む赤色は、釉薬に豊かな深みと温かみを与えます。
還元と酸化が色に与える影響
酸化鉄の鉄イオンの例で見たように、焼き物の色彩を決定づける大きな要因の一つに、「還元」と「酸化」という窯の中での化学反応があります。釉薬がどのような色を見せるかは、この還元と酸化の状態にも大きく左右されます。
酸化(Oxidation)とは、酸素が豊富にある状態です。この状態では、金属イオンが酸素と結びつきやすくなり、一般的に「酸化状態」と呼ばれます。焼き物の窯では、通常の空気をそのまま取り込んだ状態が酸化環境です。
還元(Reduction)とは、酸素が少ないか、酸素を取り除く反応のことを指します。還元状態にするには、窯の中に酸素が入らないようにするか、酸素を奪う燃焼物質(炭素など)を加えることで、酸素の供給を減らします。これにより、釉薬の中の金属イオンが酸素を失い、酸化状態とは異なる色合いを示します。
このように、酸化と還元は釉薬の色彩に大きな影響を与えます。窯の中で酸素の量をわずかに調整することで、同じ釉薬でも全く異なる発色を引き出すことが可能です。釉薬の種類や焼成温度、窯の内部の酸素供給など、さまざまな条件が重なり合って、一つひとつの作品が作り出されます。
美しさを追求するとは
釉薬が持つ役割のうち、今回は美しさに焦点を当てました。始めに美しさに焦点を当てたのには、理由があります。歴史を探ると、釉薬の発展が単なる機能性の追求によるものではなく、美しさを求める人々の欲求から始まったものだからです。
私は工学系の研究者として、科学技術が人々の生活を便利にすることを目的として研究を進めています。生活を便利にするとは、焼き物でいうと、耐久性の向上や液体への耐性、汚れにくさなどの機能性を指すことが多いです。産業革命以降、科学技術は主に利便性を高める機能付与を目的に研究され、私にはその感覚が強く染みついています。そのため、始めは、釉薬も機能性の向上を目指して発展してきたと考えていました。
しかし歴史を遡ると、釉薬の使用目的は、古代においては加彩や加飾です。つまり、美しさの追求に重きが置かれていたと考えられます。釉薬の組成や焼成方法、冷却の仕方など、焼き物には様々な工夫が施されていますが、これらの工夫は全て美しさを求める気持ちから生まれたものです。歴史と職人が積み上げてきた工夫は、強い信念がないと生まれ得ないと感じています。
ならば、美しさを追求する感覚は、「機能」とは異なる、重要な信念が表層化しているのではないでしょうか。生物の発展の、最も深い部分に存在する原動力なのではないでしょうか。
コスパ、タイパと、効率的で効果的な機能が重視されやすい今、美しい焼き物を眺めることは、生命の根源的欲求に立ち返る、測ることのできない価値ある時間なのかもしれません。
参考文献
樋口わかな, やきものの科学, 株式会社誠文堂新光社, 2021
竹内 信行, 陶磁器釉の色と金属元素の化学状態(ヘッドライン:色の化学), 化学と教育, 2008
浅見 薫, 陶磁器釉薬(うわぐすり)(<特集>化学と文化財), 化学教育, 1979