瓦の建築考

空中を経由する(岡航世/京都工芸繊維大学修士課程三年)

岡航世

傾いたバスケットコート

少し傾いたバスケットコート

もしも「完全に水平ではないバスケットコート」があれば、それはチームの実力差とは別のパラメータとして機能するだろうか。目には映りづらいけれど、オフェンスは上りで、ディフェンスに戻るときには下り? 地元の少年らは「コートチェンジをしないと、ルールと無関係の有利不利があるんだよね」と、地面の不条理(傾き)を最初から前提(コンテクスト)として受け入れ、それをゲームの「ローカルなバリエーション」として楽しんでいる。

私はこれがバスケットボールであることが重要だと思った。空中は平等だから。

傾いた大都市ラパス

ボリビアの事実上の首都ラパスは、世界で最も劇的な地形を持つ都市のひとつである。標高約3,600mの「すり鉢の底」から、標高約4,150mの「すり鉢の縁」にあたる高原都市エル・アルトまで、都市全体が巨大な盆地の急斜面にへばりつくように形成されている。

すり鉢の底にある宿からの景色

すり鉢の中心(底)ほど、家賃が高く、サービス業や金融業などの店舗が多い。車の販売店もある。路上の市場では革の製品や電化製品など、買ってそのまま使用できる完成された商品が並ぶ。

中心から少し外側に移動すると、建築材料の販売店や地元の飲食店などがある。特に多いのは、印刷業で、飲食店や理髪店の看板を手掛けている。

そして標高が上がるにつれて、家賃は下がる。つまり、なるべく体が楽な、上り下りの少ない中心付近が人気で、すり鉢の縁に近づくほど移動が大変だから安いという関係が明快で良いと思った。

すり鉢の縁の部分はというと、最も治安が悪く家賃が安い。この場所で行われるのが通称「泥棒市」

「泥棒市」

泥棒市で販売されているのは、完成された製品ではなく、ねじ、何かのメーター、モーターやエンジンの部品らしきもの、車のフロントバンパー(?)。ここでは製品になる以前の部品が主な商品になっている。市場の通称名からわかるかもしれない。ここでは、中心エリアで盗まれた製品が郊外で分解されて、部品となって街の縁で販売される。だから「泥棒市」。

犯罪を含む謎の交換行為がすり鉢の中心エリアと縁エリアの間で行われている。

この物理的な地面の傾斜に相関するグラデーショナルな変化に「傾斜がかかっている(均一ではない)」と言葉を与えてみる。

①治安の良い→悪いの傾斜

②家賃の高い→低いの傾斜

③販売品のサイズ大(製品)→小(部品)の傾斜

④サービスへのアクセス機会の傾斜

地形という文字通りの傾斜が原因で、地位や経済、治安といった格差の傾斜が生まれている。そこに相関があることが面白い。

空中から平等さを持ち込む

2014年ボリビア政府はラパス上空にロープウェイ「ミ・テレフェリコ」を張り巡らせた。現在では合計10路線になっている。乗車賃は3ボリビアーノ(2026年現在日本円で60円程度)で、現地に住む人からしても手頃な金額である。

ミ・テレフェリコの整備、特に「上空からのアクセス」によって、格差の最たる原因である地形は、仮想的に平滑に近づいた。身体的なストレスだけが無効化されたとも言える。その結果、すり鉢の縁エリア(エル・アルト地区)に住む人々は街の中心エリアで商売ができたり働きに出ることが容易になり、逆に、すり鉢の底(中心エリア)に住む人は縁エリアで安く買い物ができる。問題の泥棒市はというと、相変わらず盗難品も並ぶものの、軽食を売る者、飲み物を売る者が並び、皆に認められた風通しの良い市場として親しみやすくなってきているのが現状である。おばさん同士が闘う「おばさんプロレス(Cholitas Luchadoras)」は大人も子供も観にくる。

余談はさておき、これまで地形が原因で生まれていたネガティブなイメージでの「格差」は、上空から平等さが持ちこまれたことによって、機会は均等になりつつ、場所の個性としての「差」は消滅していない。むしろすり鉢の標高と合わせて変化する街並みは、上空からの比較が容易になり、個性は際立つ。これはクリアランスとは違うやり方で、しかも雑多さを美化しているのではなく「差別化」「区別化」でいうとこれは単なる「個性の区別」であると思った。ここでは10本のロープウェイが各地区の個性を粒立たせるための、素敵な物差しとして働く。

冒頭の「傾いたバスケットコート」ならば、どんな場所からでもシュートを打ってしまえば (ボールが空中に属してしまえば )誰にも邪魔できない時間が生まれ、地面の傾きなど無関係にスポーツの醍醐味を楽しめるようになる。凸凹や傾斜をそのまま楽しむうえで、空中に(あるいは地面から離れた高い位置に)平等さがあることが良いと思った。

地面の不条理(傾き)を最初から前提(コンテクスト)として受け入れ、それをゲームの「ローカルなバリエーション」として楽しみ、地面を平滑化することなく、険しい地形での生活ゲームとしてよくできた都市が、今日も富士山より高い位置で活気に満ちている。

ロープウェイからの景色

ミ・テレフェリコでは屋根の上をふわふわと飛んで移動するので、屋上で洗濯物を干している様子や、友達の家の形、所々岩が地面から飛び出してることなどがわかる。それから、2014年にロープウェイが完成してから建てられた家、もしくは屋根が葺き替えられた家には、その事実が一目瞭然なものがある。絵が描かれているからだ。こんな都市に住んでいなければ、屋根に絵を描こうなんて思わないだろう。

行政の大胆な公共交通が偶然生み出した「屋根に絵を描くユーモア」が街中に伝播すれば、移動しながらなんだか気になる家が増えて来そうだとか、大きなすり鉢地形の中で私の家がどのあたりに位置するのかということに実感を持つことができたり、友達と話しながら「お前んちの屋根いいな」なんて言うこともあるかもしれない。

ミ・テレフェリコからは息を呑むような夜景も見える。そして建物がひしめき合う隙間に自分が乗り込んだリフトが潜っていく。街の騒がしさに疲れても、なんとなく上空に意識が残っていて、頭の中で(あるいは頭上で)方角を見失わない。自分の位置を確かめる方法がいくつかあるのが心地よいと思った。

空を経由する位置

空間の経験を考えるとき、パースペクティヴの中での位置感覚と、俯瞰した視点を含む位置感覚がある。前者は漁師が行う「山立て」なんかがそうで、「あの辺りに山が見えていて、灯台とあの山の先端を繋ぐ線がおおよそこの角度になる地点」というようにして、手がかりの少ない海上で位置を測っていたそう。日常的な位置感覚を支えているのはこの方法だろうと思う。

一方で、よく知った街で経路を考えるときには俯瞰した視点になることがある。意識は一気に上空へ飛んで街を上から俯瞰する。それが地図を見るということだと思う。

このドローイングはそんな位置についての関心から取り組んだ卒業制作「位置の解き方(ほどきかた)から結び方まで」から抜粋したもの。左図は、日常の経験において、よく曲がる街角の電柱、誰の管轄かわからないがいい感じのドクダミ緑地帯などを手がかりに、自分の位置を絶えず測り続けている状況を描いている。右図は、GPSによってこれ以上ない俯瞰を手に入れた我々の位置感覚を示している。

GPSの正式名称はGlobal Positioning System(グローバル・ポジショニング・システム)で、日本語では「全地球測位システム」と訳される。これを「全地球において最も正しい位置情報」として捉えるのではなく、「全地球と私の関係」くらいに思ってみると、GPSも所詮「位置に関するあるひとつの測り方」でしかないと思えてくる。

そして今回の世界一周中、毎日知らない街に飛び込む日々の中で「いつ・どこで・どんなやり方で位置を測る?」という意識で毎日を生きていた。そんな訳でラパスのロープウェイは衝撃的だった。

GPSははるか上空から矢印が突き刺さるような位置感覚だが、ラパスで地上を這って歩みながらロープウェイからの見晴らしを思い浮かべるときには、もう少しふわふわと空を経由する位置感覚がある。そして最後にもうひとつ。そのどちらでもない位置の測り方を紹介しようと思う。

雲を読む

環太平洋火山帯のペルーで標高4,000mを超える温泉を転々とめぐっていたときのこと。雲が近いなと思っていた。

湯船の向こう、小高い丘の向こう側に、白く大きな雲が今にも丘を擦りそうなほど低く垂れ込めていた。同じ温泉に浸かっていたおじさんがそれを見ながら、ジェスチャーを交えて教えてくれたのは、高地に住む彼らの位置感覚だった。彼は雲の濃淡について話し始めた。

彼が指差した先には、低く垂れ込めた雲が地面との距離が近すぎるがゆえに暗くなっている部分があった。

「あの影は、ただの暗がりじゃない。雲自体の分厚さの違いでもない。地面の『形』だよ。手前の丘のせいで奥の地形は見えないだろう。だけど、地面との距離は、雲に影として投影される。雲がこの後移動したとして、その雲の影が濃いままならばそこは手前の丘と同様にせり上がった丘だし、影が明るくなれば、そこには光がよく乱反射するのに十分開けた広い盆地が隠れている。俺たちは雲を見て、その下にある土地の起伏をあらかじめ読んでいるんだ」。

それは、天空に浮かぶ雲を巨大な「型」として、あるいは動的なスクリーンとして使いながら、地面の凹凸を逆算するような、独特の空間把握だった。

この地に定住するようになった彼らの現代生活の中では必要のない感覚ではあるが、私はその話のおかげで空を経由する位置感覚にとらわれた。星を見て移動する砂漠のキャラバンや航海術がまだ発展途上だったころの世界はどんな姿に見えていたのだろうと考えながら、彼と湯舟に浸かっていた。

ちなみに標高4,000mを超える温泉では相当息が切れる。40度に達しないお湯だから、彼の話を根気強く聞けたと思う。

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寄稿者
岡 航世
岡 航世
京都工芸繊維大学修士課程三年
2002年大阪府枚方市生まれ。京都工芸繊維大学大学院修士課程在籍。KYOTO GRAPHIEをはじめとする展覧会や自主企画の会場構成、文化財活用に取り組む「門衛所プロジェクト」の主催などを通して建築設計を学ぶ。2025年春には、京都市清水五条にて「収集家(か)のための収集家(いえ)」が竣工。その後、世界一周を経て大学院に復学し、現在は修士論文・修士制作に取り組んでいる。
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