瓦を起点に(船越拓/東京大学工学系研究科建築学専攻修士課程)
他律的な素材
瓦という素材を考えると、まず沖縄の赤瓦が思い出される。沖縄において赤瓦は、重要文化財である中村家住宅や昨年(2022年)竣工した石垣市役所など、新旧・大小問わず建築の屋根に葺かれている。これらは、沖縄で採れる黒土を酸化焼成という方法によってできる赤い素焼き瓦である。沖縄というある環境の一部から生成される他律的な素材といえよう。
それに対して、近代は鉄・ガラス・コンクリートという工業製品に置き換えられた時代であるというクリシェがあるが、これらの素材を用いる根拠は均質かつ大量生産が可能であるというところにあり、建築が建つ敷地のコンテクストから導かれたものではない。つまりこれは自律的といえよう。このように、建築に用いる素材は自律的か他律的かという性格で記述できそうである。
そこで、自律性と他律性をキーワードとして、建築というものを考えていきたい。
マテリアルとフォーム
素材に加えて、形態も建築を考えるうえで重要な側面の1つである。形態も同様に自律性と他律性によって記述してみる。
他律的な形態というのは敷地周辺で発見されたあるものを根拠とし、周囲に馴染むように設計されたものである。例えば、周囲に山並みがある時に、それに模した曲面屋根を架けるといった操作や、切妻屋根の立ち並ぶ集落において、それに倣って切妻屋根を架けるといった操作は他律的であるといえる。一方、自律的な形態は、敷地の文脈とは切り離されたものを根拠とし、周辺とは独立するようにして設計されたものである。それらは初等幾何や箱型など強い形式性を持つことが多い。他律的な形態は周辺に対して受動的な建ち方であり、自律的な形態は周辺に主張する能動的な建ち方であるともいえる。そして、建築のあらゆるマテリアルとフォームが自律的、他律的の両端に二分されることはなく、それらのほとんどはその間に分布する。
前提
私が建築における自律性と他律性について考えるようになった契機は、学部3年生の時のU-35(毎年大阪で開催される35歳以下の建築家による展覧会)での宮城島崇人さんとの出会いであることを告白しなければならない。彼のそこでのステートメントは「環境を鼓舞する建築」であり、建築の自律性を標榜するものであった。そして、素材について妹島和世の言葉である「環境の重量」(モノの重さが与える環境の質のこと。)を用いながら以下のように述べていた。
「その場で採れる材料でつくると、自ずと環境の重量と建築の重量は近づき、ある種の調和を感じさせる。」
確かに、『建築家なしの建築』(B・ルドフスキー著)のページをめくると、それがすぐに理解できる。それらにおいては、環境と建築が連続し、よい関係を構築しているのである。素材選択において、私は他律的なものを考えたい。
一方、形態においては自律的に建ち現れるような建築を考えたいと思っている。それは敷地の文脈から独立しているため、周囲との間に衝突、もしくはズレが生じるだろう。その力により、生き生きとした場が生まれ、多様な人々を内包できるような余地にもなりうるのではないかと思う。他律的な素材、自律的な形態というのが現在における私の建築設計に対する態度である。
先述の通り、建築の側面であるマテリアルとフォームを自律性、他律性で記述しようとしたときに、どちらか両端に二分することはできない。建築設計において大事になるのは、いかに自律性と他律性のバランスを配慮するかということであろう。