渋谷の土と街の交差点を追う、つめたび日記 中編(内野未唯/株式会社 Social&Cultural代表)
土は掘れば掘るほど面白いに違いない、そんな好奇心から、都市や街の記憶を辿る手段として、物理的にも概念的にも土を“掘る”こと。そして、土を慈しみ、愛で、土地の記憶を興し楽しむ旅をすることがつめたび日記の趣旨となります。(つめたび:土を愛でる旅)
人と土の接点を考える
都市で生活をしていると、土を意識することはほとんどありません。現代における人と土の接点ってなんでしょう。人の情報の多くは視覚が占めていますが、思い返せば私と土の記憶には、嗅覚や触覚が強く影響をしているように思います。
3年前、21歳の夏にふらっと訪れた秩父の山の奥、立ち込める霧の中で、堂々と聳え立つ神木、蝉は鳴き、風は吹き、植物は揺れ、圧倒された日。
そこで初めて、自分は大きな、大きな、地球の循環の中で、小さな一命として生きていて、いつか土に還っていくんだな〜と、感じました。
人は生まれる時は母体から出てきますが、還る先は土や地球です。「死」と人と地球(土)との接点と言えるのではないでしょうか。
都市と土の接点を考える
都市が人の生活と営み、社会や文明の延長線上にあるとしたら、、、今度は「人」を「都市」に置き換えてみたいと思います。その場合、都市もまた、土に還るのでしょうか。それとも都市は違う方向へ向かっているのでしょうか。都市の死とは何を指すのでしょうか。
先日、同じ起業家であり、学生であり、AI系のスタートアップをしている尊敬する友人に面白いことを言われました。
「みいちゃんは地球がなんで好きなの?私、地球が苦手で。情報を常に得ていないと気持ち悪くて、地球が全部ビルとかに埋まったらいいのに!って思ってるんだ」
都市は人間拡張の最大形態である
(東京都市大学 総合研究所 未来都市研究機構, 葉村 真樹『都市5.0 アーバン・デジタルトランスフォーメーションが日本を再興する』)
Tokyo・Shibuya
渋谷駅前・交差点
渋谷駅東口を出て、ふとあたりを見ると今日も多くの訪日観光客が訪れ、カメラを構えながら歩いています。彼らの視点は、渋谷の景色を「機能」としてだけではなく、「アイデンティティ」として気づかせてくれます。
余談ですが、以前に友人数人と渋谷に来た際にはぐれてしまい、信号が青になるたびに皆でスクランブル交差点の真ん中へ走って、手を振ったり、踊ったり、目立つ動きをして合流を図ったことがあります。すごく楽しかったです。
宮益坂と金王神社
さて、今回は前回歩いた道玄坂とは逆の方向の宮益坂へ向かって行こうと思います。道玄坂と宮益坂を結ぶ道は昔「大山街道」と呼ばれ、東京の赤坂から始まり、神奈川の「大山」まで続いています。江戸時代中期ごろに大山詣りで多くの人が行き交った道です。江戸城を中心に“のの字”(渦巻き状)に堀があった江戸時代。当時の渋谷は郊外でした。宮益坂には大名の別邸などがあったと言われており、金王神社、御嶽神社、玉造稲荷神社から信仰が伺えます。水が豊かな渋谷には水路があり、周辺には百姓地と田畑が広がっていたそうです。東京の水路はほとんどが埋めたてられていますが、渋谷を歩くとなんとなく緑や地形を通して、しっとりと潤いを感じます。晴天の空にまたがるこいのぼりもいいですが、夜の静かで水分を感じる渋谷のこいのぼりも良いです。
金剛神社の前にある鳥居、向かいの道は飲食で賑わい、中に入るとゆったりした空気が包み込んでくれる、心地よい空間。
そのまま、渋谷の1丁目から渋谷東方面(渋谷川に沿って、渋谷中心部から外側に向けた方向)へ歩いて行きます。土こそ見えないものの、自然が溶け込む景色。桜が咲き、多くの人がカメラを構えています。土日ということもあり、子供が無邪気に周囲で遊んでいます。幹線道路は都市計画法、高度地区などで、どうしてもスケールが大きく新しい建物が並びがちですが、一本中に入ると穏やかな空気が流れるエリアです。
渋谷の大学街
そのまま進むと、青山学院大学、実践女子学園中学校・高校、國學院大学が立ち並び、大学エリアへ突入します。渋谷の大学は、青山学院大学は大通りに面していますが、それ以外は少し奥に位置しています。
大学がある地域の駅周辺や、商店街はいつも賑やかで、活気があります。地域の風景に、暮らしに、学生が参加し発展していった文化がきっと渋谷にもあるのではないかと思っています。
先日、東京都市大学空間生成研究室の中島伸先生が「文化は創れる」ということを教えてくれました。どういうことかと言うと、文化を作るには“ピッチ”が大切で、例えば“一年刻みピッチ”でコトを起こしたら“10年で10代”になるということです。酒蔵へ行くと、創業300年、代表は14代目などありますが、一代平均21.4年(300年÷14代)ピッチということになります。
世界で唯一の古本市場があり、130の書店が並ぶ古本の街「神保町」では、本の売買の始まりは学生だったそうです。明治時代の初期の頃に、明治法律学校(現:明治大学)、英吉利法律学校(現:中央大学)、日本法律学校(現:日本大学)、専修学校(現:専修大学)と多くの大学が創設されたことに起因し、先輩が使い終わった参考書や教科書を後輩に渡していく、その循環・代々の伝統・システムが「古本書店」となりました。
渋谷では青山学院大学が1883年ごろ、國學院大学が1923年ごろに設立されました。國學院の向かいにある氷川神社のお祭りにも、きっと多くの学生が参加していたのではないかと思います。
青山学院大学学生インタビュー
「小学校から青山学院大学に通い、渋谷は自分にとって第二の家でした。音楽やカルチャーが大好きになり、自分が制作側になることになったのも先輩や渋谷の影響です。」
氷川神社
右奥に映る屋根の下には土俵があります。
氷川神社の金王相撲は江戸郊外三大相撲のひとつで、いまでも土俵が残っています。Netflix『サンクチュアリ』でも話題となった“聖域”。当時多くの人がそこで胸を熱くし、盛り上がった場所が、渋谷には眠っていることがわかりました。この土俵は現在立ち入ることができませんが、心の中でよしよしと撫でてみました。
つめたび日記・後編に続く