瓦の建築考

土と街の交差点を追う、つめたび日記(内野未唯/株式会社 Social&Cultural代表)

内野未唯

土は掘れば掘るほど面白いに違いない。つい最近そんなことを感じたきっかけは、感染症にかかった際に飲んだ「抗生剤」でした。その薬は過去にノーベル医学・生理学受賞をした大村智氏によって開発されたのですが、発見の鍵は「土」だったのです。大村さんは感染症に効く物質を探すためにとにかく土を掘り、採集し、発見にたどり着きました。“コウセイザイ”、私はそれを物心ついたときから薬として認知していました。その一つが土から発見されたことを知り、とても驚き、印象に残っています。
話が変わりますが、広島大学の教授であり作家の桑島秀樹さんは、歴史作家として有名な司馬遼太郎さんを“土地から「記録」ではなく「記憶」を描いた”と言っています。私自身、街道をゆくシリーズでは、その土地の想像を馳せながら読んだ記憶があります。木が、地に根を張り、養分を吸い、幹や枝葉に姿を変えて成長をしたように、都市もまた、土地に人が根付き、文明を作り(それこそ土から瓦や土器を作り)、発展をしてきました。
時は流れ、多くの土地がアスファルトに覆われている今日ですが、都市や街の記憶を辿る手段として、物理的にも概念的にも土を”掘る”ことをしてみたい。土を愛で、土地の記憶を興し楽しむ旅をしてみようというのが、この記事の趣旨になります。

●Tokyo・Shibuya
電車を降り、駅を出て、その瞬間にどっと音に包まれる。人々の声、車や電車の音、広告の音に包まれ、毎回「ああ渋谷に来たな」と思わせてくれます。私にとって渋谷は活気、希望、愛、ワクワクを感じる街で、何かを始めるなら、挑戦するのであれば、やっぱり渋谷にする以外考えられません。

道玄坂
渋谷駅前、ハチ公広場から109方向へスクランブル交差点を渡り、左側にある坂が道玄坂です。両側にはたくさんの飲食店が立ち並び、夜は若者と仕事終わりのサラリーマンで溢れます。”坂は栄える”を体現したとても賑やかな坂です。そんな道玄坂ですが、渋谷は江戸時代までは田畑が広がる農村地帯で、道玄坂周辺もその一部でした。昔この辺で暮らしていた方(2世代くらい上の方)は、冬に雪が降ると道玄坂でソリあそびをして楽しんだそうです。また坂の上に立つ案内をみると、この坂に出没して山賊夜盗の如く振舞った人の名前が「道玄」だったとか(実はその道元は僧侶だったと言われており、僧侶=山賊だとしたら、なかなかに変わり者で面白そうな方です)、道玄庵という庵があったことに由来するなどと書いてあります。庵があったことは確かなようで、緑が豊かで非常にのんびりした空気の流れる坂だったことが想像できます。その土地の肥沃さは、道玄坂に生える木からも感じ取ることができ、夏は青々とした木々が繁り、風が通るたびに爽やかに音をたてます。

百軒店のエリアの売地と土に寝転ぶイス
土を求めて歩くこと数分、百軒店の一角に売地となっている場所を見つけました。百軒店は道玄坂の坂上の一角で、関東大震災のタイミングで飲食店や劇場などが誘致されて歓楽街として発展し、今でもクラシック喫茶やジャズ喫茶、ロック喫茶といった老舗が残りつつ、新しい飲食店やBarも並ぶ繁華街です。その土地のど真ん中には横に倒れるイスがぽつんとあります。誰かが捨てたのか。それとも、内覧用?道を行き交う人々、若者と、そこにある椅子と土地。この二つが共存し、不思議な景色です。こういった余白が、通りかかる私たちの心を解放したり、抱擁してくれているように感じます。焦茶色で、ふかふかで、しっかりした土の上には今後、どんな建物ができるのでしょうか。

電光掲示板の光が映される百軒店児童遊園
もう少し進むと、突然「児童遊園」と書かれた看板と小さな公園が現れます。そこには鉄棒とベンチとテーブルが置いてあります。そこは歓楽街のど真ん中で、隣の建物の電光掲示板はピカピカと光っている、少し異質な光景です。児童遊園は8畳くらいの小さな空間で、せっかくだったので、テーブルに座って少し休憩してみました。周りが建物に覆われていて、日中はあまり人もいないので、意外と集中できるスペース、ここでホッと息をついてみます。ある人が教えてくれたのですが、この公園には風営の店舗が寄ってこない”お守り”としての役割があるそうです。風営法では、保護対象施設というものがあり、学校や図書館、児童施設の半径100m以内には営業の許可が下りない。だから、面積が小さくてもそこにある意義があるのです。このエリアには沢山の大人の事情があるようです。

土を掘り返すというテーマで歩いていますが、渋谷ではなかなか土に触れる機会がありません。そんな渋谷にきて改めて思うことは、土や空、自然の匂いを全く感じないなあ、ということです。渋谷には沢山のヒト、モノ、コト、情報で溢れています。その中においての自然は一種の穴です。3年前に渋谷の開発提案をした時に、プロジェクト内の別チームが渋谷にいろんな「穴」を開けてみよう!という提案をしていたことを思い出します。渋谷にもっと多くの、そして多様な穴が開いたらいいな〜とちょっと思いました。

ポツンと現れる円山町児童遊園
そんな中で、また「児童遊園」に出会います。ここは百軒店のエリア(道玄坂坂上)のさらに奥、円山町のエリアにある円山町児童遊園です。小学校の校庭のような砂室に、前後に動くパンダの遊具。とても懐かく感じ、その時は誰もいなかったのですが、百軒店の児童遊園と比べると本当に子供が遊んでいる姿が浮かびます。
地元の友人に聞いたのですが、実はここは夏の渋谷の例大祭の時期は町内会のお祭りの中心地になるそうで、当日は朝8時にお神輿が出発し、夜8時にお神輿が帰ってくるとのことでした。公園の一面に提灯が並び、地域の人たちの想い、熱が集結する場所だそうです。このエリアは山と谷があり、円山町はもともと荒木山と呼ばれていました。またすぐ近くにある京急井の頭線の駅の名前は神泉です。さまざまな歴史を辿ってきた中で、明治時代から昭和にかけては、花街として栄えた地域でした。この公園は、この空間はいつからあったのでしょうか。この伝統はいつからあったのでしょうか。それぞれの思いを胸に、繁盛を祈って人が集った山と谷が、今日も渋谷の街を見守っているようです。

松濤・鍋島松濤公園
そのまま松濤文化村通りを抜けるとすごく大きく立派な公園に突き当たります。
ここは徳川家の八島の土地だった頃から存在していて、今となっては渋谷で唯一となった湧水の出る公園として有名です。草木や鳥といった生き物で溢れています。その日は週末で、子供から大人まで幅広い人が訪れていました。そこにいたお兄さんに試しに声をかけてみると、大学時代から渋谷に住んでいる方だそうで、昔は飲み会後の溜まり場、そして今となったはお散歩コースだそうです。すごくわかります。空気がゆっくり流れていて、みんなにとって憩いの場所で間違いありません。きっと、江戸時代にここに暮らしていた大名たちも、ちょっと疲れたらこの公園に腰をかけ、春は桜を楽しみ、秋の夜は虫の声に耳を傾けていたのだと思います。

過去と未来、伝統と革新が交錯する渋谷の街で、その変化を支え続ける土を愛でる旅、つめ旅日記はまだまだ続きます。

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寄稿者
内野 未唯
内野 未唯
起業家・株式会社 Social&Cultural 代表
東京都市大学(旧武蔵工業大学)都市生活学部 休学中。溢れ出る探究心から、人生という名の「旅」を送っている。 渋谷の円山町に魅了され、地域を盛り上げる活動や、ラブホテルを舞台にした書籍の制作、訪日観光客向けAI観光サイネージの開発などに取り組んでいる。 2023年、地域・文化・人間らしさをテーマに、豊かな社会に貢献する株式会社Social&Cultural を設立し、地域文化、イベント、展示会のプロデュース・企画・デザイン・PR・DXを幅広く手掛ける。
Social&Cultural
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