建築と参照(杉崎広空/東京科学大学 建築学系 塩崎太伸研究室 博士課程)
1. 参照の射程
建築家はこれまでに様々なものを参照し、建築をかたちづくってきた。それは、モダニズム建築にみられる白色など色彩の参照かもしれないし、隣家の屋根の形状などかたちの参照かもしれない。あるいは、人体の大きさに合わせた家具といったスケールの参照かもしれない。ひとつの建築をとっても、このような参照関係が複雑に張り巡らされつくられている1)注1)。建築における参照の特徴を通時的にみると、1970年代では柱や屋根といった建築に内在的な要素同士の参照関係が目立ったのに対し2)注2)、1980年代以降、歴史的な建築や土着的な建築を参照する、ポスト・モダニズムの建築が顕著に現れ3)注3)、建築に外在する意味を参照する多義的な建築が多くつくられた。1990年代以降には、環境問題や自然災害なども影響し、周辺環境の自然や街並みなど、実空間にある建築に外在的な事物の参照が顕著になった。
このような時代を経た現在において、参照という視点を通して、これからの建築を考えてみたい。現代ではどのような参照が可能であるか。そして、どのような参照が求められているのか。今年の夏に訪れたブラジルでの旅の経験が、ある視座を与えてくれた。
2. 食人と参照
私は今年の夏、ブラジルの建築を見て回る機会を得た。建築の調査が目的であったが、1960年代後半にブラジルで誕生した音楽運動であるトロピカーリア4)注4)注5)の影響が、当時の建築にも影響していたのではないかという仮説のもと、ブラジルの5つの都市を巡り、オスカー・ニーマイヤー、ヴィラノヴァ・アルティガス、リナ・ボ・バルディ、パウロ・メンデス・ダ・ホッシャ、エデュアルド・ロンゴらによる建築を調査した。
トロピカーリアでは、音楽運動だけでなく美術や舞台にも類似した動きがみられたが5)注6)、その背景には1928年にオズワルド・ヂ・アンドラージが発表した『食人宣言』6)の影響がある7)8)注7)。この宣言では、食人をモチーフに用いて、西洋の模倣ではないブラジル文化の創造を主張している。ここでの食人とは、実際に人を食べることではなく、社会的・哲学的に他者の一部を自身に取り込み、他者との関係性の中で自己を変容させることであるが、この『食人宣言』がトロピカーリアの思想を形成しているといっても過言ではない。トロピカーリアは単なる音楽運動ではなく、時代遅れの価値観をもつ社会の中で、そして混血の進むブラジル文化の中で、他者を受け入れながら自己を改変し、アーティストたちが自由に生きるための運動だったといえる。このような思想的背景をブラジル建築に期待し、歩みを進めた。
サンパウロに到着し、リナ・ボ・バルディが設計したCasa de Vidro(1950-1951)が建つ敷地の麓にあるリナのスタジオ、Casinha(1986, ポルトガル語で「小さな家」の意)を訪れた。モダニズムの造形言語が顕著なCasa de Vidroとは打って変わって、モダニズム建築にはあまりイメージのない瓦が屋根に用いられている。リナは教会などいくつかの公共的な建築で土着的な瓦を用いているが注8)、それらは経済・施工における合理性をもとに用いられているとのことである9)注9)。実際に瓦を使った建物が多く見られるブラジルにおいて、瓦屋根をもつCasinhaは人々に開かれた建築に感じられた。建築の設計においてあらゆる事物が参照対象となるわけだが、その中でも瓦というマテリアルは土着的な風景を強く想起させる建材のひとつであり、地域に根差した瓦を屋根にもつということは、その地域の建築であるということを強く印象づけると考えられる10)注10)。
パウロ・メンデス・ダ・ホッシャのいくつかの建築を訪れると、モダニズムの建築家であるル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエの参照を感じるのだが、そのほとんどが立地と機能に関わらず、水平方向に広がる地下、地上、屋根の3層構造でつくられていた。それはブラジルを離れて設計された大阪万博ブラジル館(1969-1970)でも同様である。洞窟のように落ち着いた地下空間と、その上に広がる屋根に守られた外部に広がる空間という形式は、訪れたMuBE(1986-1995)やCasa Gerber(1974)において顕著であったが、ホッシャはこれを空間の祖型として、繰り返し設計しているように思われた。
エデュアルド・ロンゴは球体の建築を設計しており、特徴的な球体を構える2つの住宅を本人に案内してもらえる機会を得た。ロンゴの自邸であるCasa Bola(1979)は、「バックミンスター・フラーやメタボリズム、ブラジルの路地空間に影響を受けたもの」であり、両親のために設計されたCasa Bola(1980)は、「古典主義やパウリスタ派、ハイテック、フューチャー注11)を参照し統合したもの」とロンゴは語る。それは建築家として活動してきたロンゴの世界そのものであり、ロンゴ独自の身体感覚によりそれらは統合されていた。
訪れたこれらの建築はすべて、個々人の建築家がもつ「イメージ」をもとに、様々な参照対象を“食べ尽くし”、新たな“身体”として統合したもののように思われた。ここでの「イメージ」とは、ブラジルという土地のもつ集団的記憶に支えられながらも、共有可能でユニバーサルな強度をもつものであったように感じる。
3. これからの参照に向けて
ここで一度、私たちが生きる現代に目を向けると、そこにはトロピカーリアが起こった時代と近い状況を世界的にみてとることができる。インターネットや交通網の普及からグローバリゼーションが進行し、モノや情報にあふれた現代では、身近なものだけでなく場所や時間を超えた事物との関係の網が、縦横無尽に広がっている。そんな現代に生きる我々は、常に他者との対話と主体の改変が求められている11)注12)。
様々な関係性が溢れる現代において、一人ひとりがある「イメージ」を抱えながらも、他者との関係の中で自己を改変し続けている私たちは、『食人宣言』に影響を受けたトロピカリスタたちと共通する部分があるのではないだろうか。
共有可能な「イメージ」の実現のためであれば、モダニズムも地域の瓦もあらゆるものを食べ尽くし(参照し)、自律的なシステムとして構築し得るのではないだろうか。モダンの延長としてのポスト・モダンにおける参照とは異なる参照、すなわちオルターモダン注13)な参照を主題とした建築を考えてみたい。これからの参照に向けては以下の3つの視座、1.共有可能な「イメージ」をもつこと、2.「イメージ」に必要な参照を時間と空間を超えて行うこと、3.それらを統合する自律的なシステムをもつこと、が大切なのではないかと、今は考える。
注
- 建築の参照に関する考察は文献1の研究をもとにしている。
- 内部参照を特徴とする「ミニマリズム」の普及がひとつの影響として考えられる(文献2)。
- ケネス・フランプトンは『現代建築史』(文献3)のなかで、「ポスト・モダン建築では、古典からの「引用」も土着的な物からの「引用」も、入り乱れて相互貫入する傾向を見せている」と述べ、多義的で参照的なポスト・モダンにおける建築の特性を位置づけている。
- 本稿においてトロピカーリアについての言及は文献4を参考にしている。
- トロピカーリアの特徴のひとつにその ”ハイブリッド” な性格が挙げられる。この音楽運動ではアーティストのカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルらが中心となり、ブラジルの伝統的なボサノヴァやサンバと、サイケデリック・ロック、ブルース、さらにはエレクトロニックなど、様々なジャンルの音楽を取り入れたハイブリッド・ミュージックを生み出していた。そして、この自国の伝統的な音楽とインターナショナルな音楽のコラージュは、当時軍事政権とともに復活した、ノスタルジックで時代に逆行する社会的・政治的価値を風刺する役割を担っていた。
- トロピカーリアの芸術に関しては文献5に詳しい。
- 食人宣言に関する理解は文献7.8を参考にした。
- リナ・ボ・バルディの瓦を用いた作品に、「Espírito Santo do Cerrado Church」(1976)、「Santa María dos Anjos Church」(1978)などがある。
- 『Coleção Lina Bo Bardi』(文献9)で「Espírito Santo do Cerrado Church」について、「木造で、鉄筋コンクリートは絶対に必要な場合にのみ使用された。屋根は植民地時代の瓦で覆われ、床は小さな丸い小石を敷き詰めたセメントのシンプルな配置である。使用されている材料はすべて露出しており、建物の構造に直接塗料が塗られている。これは「エリート主義」のものではなく、住民が経済的に可能な範囲内で建築を開発し、住民の積極的な協力を得て建設することが可能かどうかを調査するものであった」(筆者訳)としており、リナは住民が参加可能な建材や構法の使用を重視し、瓦をその点において重要な建材として位置づけていた。
- 原広司は『空間<機能から様相へ>』(文献10)の中で、建築の要素を<ルーフ>、<エンクロージャー>、<フロア>に分解しており、中でも<ルーフ>について、「屋根の基本的なはたらき、雨や日差しを除けるはたらきの他に、屋根には空間を象徴するはたらきがある。」、「集落や都市の風景、とくに全体的な景観には、実際に屋根の並び方が大きな影響を与えている」とし、屋根の建築に外在的な環境に対する象徴性を位置づけている。
- エデュアルド・ロンゴとの会話の中で、ロンゴは球体を指し示しながらフューチャーと形容していた。
- ニコラ・ブリオーは『ラディカント グローバリゼーションの美学に向けて』(文献11)の中で、「脱中心化した地球規模での交渉、様々な文化に出自をもつアクター同士の多様な議論、異質な言説同士の突き合わせと調整」を現代の特徴とし、現代に生きる我々を「神聖不可侵のアイデンティティを取り除かれた存在としての主体」としている。
- 文献11において、ブリオーはオルターモダンという概念を提唱している。
参考文献
- 杉崎広空,塩崎太伸:現代住宅作品における色彩の参照関係と配色意図, 日本建築学会計画系論文集, 第808号, p.2029-2038 2023.6
- ジェイムズ・マイヤー(著), 小坂雅之(訳):ミニマリズム, ファイドン, 2011.5
- ケネス・フランプトン(著), 中村敏男(訳):現代建築史, 青土社, 2003.1
- クリストファー・ダン(著), 国安真奈(訳):『トロピカーリア―ブラジル音楽を変革した文化ムーヴメント』, 音楽之友社, 2005.1
- 東京国立近代美術館(編):『ブラジル:ボディ・ノスタルジア』, 東京国立近代美術館, 2004.6
- オズワルド・ヂ・アンドラージ(著):『食人宣言』, 『食人評論』第1号, 1928.5
- 居村匠:『オズワルド・ヂ・アンドラージ「食人宣言」分析:三つの分類と法概念を中心に』, 美学芸術学論集, 2019.3
- クロード・レヴィ=ストロース(著), 泉克典(訳):「われら食人種(カニバル), 『思想』1016号, pp.150-160
- Edições Sesc(編):Coleção Lina Bo Bardi, 2015
- 原広司:空間<機能から様相へ>, 岩波書店, 2007
- ニコラ・ブリオー(著), 武田宙也(訳):『ラディカント グローバリゼーションの美学に向けて』, フィルムアート社, 2022.1