【瓦の歴史を解説】瓦の起源から地震に強い現代の瓦ができるまで
瓦は、古代から現代にいたるまで、耐久性の高い屋根材として発展してきましたが、その歴史はご存知ですか。
瓦がどのように発展して、いまの形状や施工方法に至るのかを知ると、より確かな知識を持って瓦を選ぶことができるでしょう。
本記事では、瓦の起源から最新の防災瓦への進化まで、瓦の歴史を詳しく解説します。
瓦の起源は紀元前の中国?
瓦の起源についてですが、瓦がいつごろ誰によって発明されたのか、はっきりとは解明されていません。
古代ギリシアやローマで、青銅や鉛製の瓦があったという説もありますが、中国やその周辺地域で発展していったのが最初であると主に言われています。
世界で最も古い瓦は、中国の陳西省西安近郊の古代宮殿遺跡で発見された、約2800年前(紀元前900年)の薄手の平瓦でした。
一方、西洋では、約2000年前の古代ローマ時代につくられた瓦が発見されています。
また、古代ギリシアに建てられたパルテノン神殿にも大理石の瓦が用いられていました。
以上のことから、東洋西洋どちらの文化圏でも瓦の歴史は古いことがわかります。
では、日本ではいつごろから瓦が使われていたのでしょうか。
つぎは、日本の瓦の歴史を見ていきましょう。
日本ではじめて瓦が使われたのは仏教寺院
日本書紀によると、「588年に朝鮮半島の百済から4人の瓦博士(麻奈文奴・陽貴文・陵貴文・昔麻帝弥)が渡来した」との記述があります。
仏教の布教とともに、瓦屋根の仏教寺院の建設を促され、瓦の製法も伝授されたのが、日本での瓦文化のはじまりです。
瓦がはじめて使われたのは、596年に建てられた奈良の飛鳥寺(法興寺)でした。
この飛鳥寺(法興寺)の瓦屋根は、平城遷都に伴い、今は元興寺の屋根として現存しています。
奈良時代には、瓦の生産がさかんになり、法隆寺や東大寺など多くの寺院でも瓦屋根が用いられ、それらは1000年以上たった今も残っています。
日本における瓦の葺き方は室町時代に完成
はじめは寺院建設のために使われた瓦でしたが、694年に建てられた藤原京の宮殿で、初めて寺院以外に瓦が用いられました。
その後、藤原京に続いて平城京、長岡京、平安京でも瓦が使用されました。
またその頃から瓦の生産が追いつかず、瓦の生産地を近江、淡路、讃岐にまで広げ、大量生産に乗り出しました。
平安時代の終わりには、戦乱の影響と寺院に檜皮葺きの屋根を用いることが多くなったことによって、瓦はあまり使われなくなりました。
しかし、鎌倉時代には、戦乱で破壊された寺院の再建のために瓦の需要が復活します。
その後、製造や施工技術が大きく進歩し、現代の瓦の葺き方にも繋がる「本瓦葺き」が、室町時代に完成したと言われています。
桃山時代以降は、戦国武将が城に瓦を採用するようになり、寺社仏閣や宮殿だけでなく城でも使用されるようになりました。
一般家屋に瓦の使用を普及させた「桟瓦」
ここまで紹介したとおり、瓦は寺院や仏閣や城などで使われ、現在のように一般庶民の家に採用するには高級すぎる建材でした。
それが広く普及するようになったのは、江戸時代末期ごろだといわれています。
当時の一般家屋の多くは、板葺き屋根でした。
「火事とケンカは江戸の華」といわれるように、江戸の町は火事が多く、一度火が出ると町を焼きつくすまでおさまりませんでした。
江戸幕府では、贅沢を禁止して倹約を推奨する「奢侈禁令」の一環として、庶民に瓦の使用を禁止していましたが、防火対策のために瓦の使用を奨励し、助成金を出すようになりました。
その頃、近江国大津(現在の滋賀県大津市)で、三井寺の御用達を務めていた西村半兵衛が、「桟瓦」という新しい瓦を考案します。
桟瓦が考案されるまで使われていた屋根瓦は、丸瓦と平瓦という二種類の瓦を使用して、平瓦を並べ、その間をふさぐために丸瓦を重ねる方法を用いていました。
この方法は瓦自体が非常に重く、瓦屋根を支える梁や柱を強固なものにしなくてはならなかったため、お金がかかるものでした。そこで、丸瓦と平瓦を一体化させ、軽量化した瓦が「桟瓦」です。
「桟瓦」の発明により、重量だけでなく製造や施工のコストも抑えることができるようになったため、一般家屋への瓦屋根の普及が一気に進みました。
洋瓦「F形瓦」「S形瓦」の登場
明治時代の初め、開港して間もない横浜で商売を始めていたフランス人のアルフレッド・ジェラールが、洋風建築用として、フランス仕様の瓦の製造を始めました。
この瓦は、その名前にちなんで「ジェラール瓦」または「フランス瓦」と呼ばれます。
ジェラールの製造した瓦は、1300度まで温度を上昇させられる窯を使って製造することで、頑丈で軽量な瓦を製造することができ、画期的な瓦として普及しました。
フラットな形状が特徴であり、このフランス仕様の瓦を参考に日本で製造された瓦は、「Flat」の頭文字をとって「F形瓦」と呼ばれるようになります。
大正時代には、スペインから一枚一枚同じ焼き色がでないことが特徴の「スパニッシュ瓦」が輸入されました。「スパニッシュ瓦」を参考にして、日本の三大瓦産地の一つである三州で、日本の風土に合わせた「S形瓦」が開発されます。
のちに、「F形瓦」「S形瓦」のことを洋瓦と呼ぶようになりました。
地震に強い「引っ掛け桟瓦」の開発
洋瓦が普及しはじめる一方で、日本瓦の施工方法に画期的な変化が起こります。
その当時、桟瓦の誕生によって、施工性が大きく向上しましたが、屋根の下地材と瓦の接着に土を使っていたことで、屋根全体の重量が重くなることが未だ問題でした。
この施工方法は「土葺き工法」と呼ばれます。
そこで、 土を使わない方法として、明治10年(1877年)頃、工部省営繕課により桟瓦の裏に突起を付けた「引っ掛け桟瓦」が考案されました。
「引っ掛け桟瓦」を用いる工法を「引っ掛け桟工法」といいます。
「引っ掛け桟工法」とは、屋根の骨組みとなる桟木を格子状に打ちつけ、その桟木に「引っ掛け桟瓦」の裏の突起を引っかけてずれないようにする方法です。
大正12年(1923年)に発生した関東大震災で、多くの瓦が屋根からずり落ちてしまいましたが、それらは「土葺き工法」によって作られたものでした。
関東大震災後に改正された「市街地建築物法」(旧建築基準法)の施工規則のなかには、「瓦を葺くときには、引っ掛け瓦のようなものを使用するか、野地に緊結しなければならない」という内容が盛り込まれました。
また、昭和29年(1954年)に統一された瓦のJIS規格では、引っ掛け桟瓦の構造が明示されています。「桟瓦」といえば「引っ掛け桟瓦」のことを指すこと、瓦桟木に引っ掛け桟瓦の突起を引っ掛ける「引っ掛け桟工法」が標準となることなどです。
台風や地震にも強い「防災瓦」への進化
「引っ掛け桟工法」によって、瓦はずれにくくなった上に、土を使用しないため屋根全体が軽量化され、耐震性を向上させることができました。
しかし、桟瓦は重なりが少ないため、強風によって瓦が浮き上がって飛散することがあり、台風への耐性が低いことが問題でした。
そこで、昭和60年(1985年)頃には、台風や地震に強い「防災瓦」が登場しはじめます。
「防災瓦」とは、引っ掛け桟瓦の切り込み部に凹凸を付けて、瓦同士が噛み合う構造にしたものです。
瓦同士が噛み合う構造により、風によって浮き上がりにくく崩れにくい、優れた耐風性と耐震性を発揮します。
住宅の洋風化が進む1990年代、平板瓦(F形瓦)が普及しはじめました。
しかし、当時は、平板瓦の防災対策が技術的に難しく、釘打ちやねじ留めに頼っている状況でした。
1998年の台風7号で、当時の平板瓦が飛散したという事例が多く見られたことをきっかけとし、平板瓦の防災瓦の開発が進められ、鶴弥の主力商品である「スーパートライ」シリーズが誕生しました。
また、1995年の阪神淡路大震災での甚大な被害を受け、2000年に建築基準法が改定され、2001年に瓦屋根標準設計・施工ガイドラインが制定されました。
ガイドラインでは、瓦同士でロックする仕組みのある「防災瓦」を使用することが定められ、瓦を留める釘の本数を増やすことが推奨されています。
長い歴史を経て進化し続ける瓦
以上、本記事では、瓦の起源から現在の防災瓦の発展にいたるまでの瓦の歴史を紹介しました。
瓦は、古くは仏教寺院や宮殿などで用いられる高級なものでしたが、火災に強い瓦を一般家屋でも使えるよう安価で軽量なものに改良が重ねられ、現在の形になりました。
また、度重なる自然災害に見舞われた歴史を経て、耐風性や耐震性のある瓦が研究され、安全基準が定められてきました。
地震や台風に強い「防災瓦」は、さらに進化を遂げ、ヒートアイランド現象を緩和させる「太陽光高反射率瓦」などの環境性能を追加した防災瓦も開発されています。
弊社、株式会社鶴弥は明治20年創業の粘土瓦メーカーです。自社で防災瓦を使いたい場合、ご相談は下記URLよりお問い合わせください。