瓦の基礎知識

焼き物を科学する⑪:飲み物の美味しさを変える焼き物(市川しょうこ/化学者)

市川しょうこ

1.焼き物によって味が変わる?

人間が生きていくために、身体を潤す飲み物は必要不可欠です。そのため、飲み物をつぐためのコップやカップなどの器は生活必需品です。飲み物の味わいは原材料の種類や加工方法、淹れ方だけで決まるわけではありません。実は「器」がもたらす微妙な違いが、私たちの味覚や嗅覚にまで影響を及ぼしていることをご存じでしょうか。

器の素材や形状、手触りや色合いは、見た目の印象を左右するだけではありません。2014年にイギリス・オックスフォード大学のチャールズ・スペンス教授らが行った研究では、ホットチョコレートを白・赤・ダーククリーム・オレンジの4種類の色のカップで提供し、飲み物の味覚評価を比較しました。その結果、オレンジ色やダーククリーム色のカップで提供されたホットチョコレートは、白色のカップよりも甘味や風味がより豊かに感じられると報告されています。器の色、焼き物で言うと釉薬の色が飲み物の風味評価を左右することを科学的に示しています。

つまり、私たちが飲み物に対して日常的に感じている「美味しさ」は、器を含めたトータルな体験の中で形づくられているのです。

本記事では、焼き物の器がどのように飲み物の美味しさを引き立てるのかを、科学的な視点と焼き物の魅力の両面から紐解いていきます。

2.コーヒーの味と五感の関係

飲み物の味わいは、単に舌で感じる「味覚」だけで決まるものではありません。実は、視覚・嗅覚・触覚といった五感すべてが複雑に絡み合い、私たちの「美味しさ」の印象を形づくっています。

コーヒーを例に取ると、カップに注がれたコーヒーの色やツヤは飲む前から視覚的期待を高め、香り立つアロマは嗅覚を通じて甘味や苦味の感じ方にも影響を及ぼします。また、口に運ぶときのカップの重みや手触りは、飲み物への豊かさや濃厚さといった印象につながり、重みのある器は高品質な印象を与えます。

「赤みと甘み」、「緑」と酸味」といった色と味覚の間に一定の関連性があることがさまざまな研究をとおして示唆されてきました。しかし実際に実験を行うと、チョコレート飲料を提供する際、赤色のカップよりもクリーム色のカップの方が甘さの評価を高めたり、赤色のカップは甘さの評価を低下させたりしました。またクリーム色のカップで飲んだ場合でも「クリーミーさ」の評価は必ずしも上がらず、色だけでは飲み口は判断できないようです。

つまり、飲み物を楽しむ体験とは、器も含めた、五感の繊細なバランスの上に成り立っているのです。

3.焼き物の「性質」を決める要素

焼き物の性質は、火と土だけでは決まりません。原料粘土の鉱物組成、粒子径、焼成温度と時間、焼成雰囲気(酸化・還元)、釉薬の種類と厚みなど、多彩な要素が組み合わさり、器の個性と機能性を生み出します。

例えば、陶器、磁器、炻器(せっき)といった分類は原料の粒径や鉱物成分に由来し、器の硬さ・吸水性・色合いに大きく影響します。さらに、焼成温度・焼成雰囲気(酸化or還元)も重要です。高温で焼かれた磁器はガラス質が多く、緻密で吸水性が低い一方、低温で焼かれる陶器は多孔性が高く、温かみのある風合いになります。釉薬の有無や種類も、表面の滑らかさや手触り、光沢に関わります。

これらの組み合わせによって、保温性、香りの立ち方、口当たりといった飲み物への影響が決まるのです。ツヤがあり滑らかな磁器は口当たりを左右し、密度が高く重たい陶器は重厚感からコク深さを生みます。

4.焼き物の表面状態による味の変化

焼き物の表面には目に見えない小さな孔(気孔)が無数に存在します。焼き物の表面状態、特に「多孔性」は、飲み物の味わいに大きく影響します。

多孔質な器は、液体と接触する表面積が増え、香り成分が広がりやすくなります。たとえば、素焼きや備前焼のような多孔質のカップは、コーヒーや日本酒の芳醇な香りをより豊かに立ち上がらせます。

また、微細な孔が液体の温度保持にも関与します。表面に気孔が多い器は内部に熱を適度に蓄え、飲み物の温度を穏やかに保つ効果があります。SEM(走査型電子顕微鏡)画像で観察すると、多孔質陶器は細かい空隙が蜂の巣状に広がっていることが分かります。気孔率20%以上の陶器は、液体表面の揮発速度を促進し、香り立ちを約1.4倍向上させるという報告もあります。

このように、器の表面構造は単なる見た目の問題ではなく、香りや温度、味わいから成る立体的な体験に深く関わっているのです。

5.素材による味の変化

焼き物の素材は、飲み物の味わいそのものを変えることもあります。

陶器製のカップはステンレス製やガラス製に比べ、コーヒーの苦味や酸味を和らげる傾向があります。これは陶器の微細な多孔性が、苦味成分(クロロゲン酸ラクトン等)の吸着を促すことによるとされています。また、ステンレスのような硬質な冷たい器と比較すると、陶器の柔らかな表面は口当たりをまろやかにします。

ステンレスのような金属素材は、無孔質で味への干渉はありませんが、冷たさが舌先に鋭く伝わり味わいをシャープにします。ガラスは味移りが少なく、香りも閉じ込めず素直に伝えますが、口当たりは硬いです。

焼き物は、飲み物全体の印象を「優しく」仕上げることができそうです。

6.ビールを美味しくする焼き物

焼き物は、ビールの味わいにも大きな影響を与えます。中でも注目されているのが「素焼きのビアマグ」です。

素焼きとは釉薬を使わず焼成した多孔質の器で、内部に微細な孔が無数に存在します。ビールを注ぐと、この微細孔に気泡の核が形成され、きめ細かい泡が持続的に立ち上がるのです。細かくクリーミーな泡はビールの酸化を防ぎ、風味を長持ちさせる役割も果たします。加えて、素焼き器は温度保持性が高く、ビールを冷たいまま楽しめる利点もあります。

素焼きの器は「泡立ちの良さ」「香りの拡散」「温度保持」という三拍子を揃え、ビールの美味しさを格段に引き上げるのです。まさに、焼き物の力が味覚体験を豊かにする好例です。

7.日常を彩る焼き物選び

焼き物の器は、単なる「飲み物を運ぶ道具」ではありません。

素材、表面の質感、色彩、形状、それぞれが私たちの五感に繊細に働きかけ、味わい方そのものを変化させます。表面の多孔性は温度保持性を左右し、器の色彩は味覚や香りの感じ方に微妙な違いをもたらします。「美味しさ」とは、原材料やレシピだけで完結するものではありません。器を科学の視点から見直すことで、これまで気がつかなかった味わいの奥行きが広がってくることでしょう。

コーヒーをじっくり味わいたいなら、厚みがあり重みのある陶器カップが適しています。香りを立たせたいなら、薄手で広口の磁器カップ。長く温かさを保ちたいなら、肉厚の素焼きの器が力を発揮します。 お気に入りの器をいくつか揃えて、その日の気分や飲み物の特性に合わせて使い分ける――そんな愉しみ方も魅力的です。

今回は「飲み物の器」に焦点を当てましたが、焼き物は食品以外の場面でも私たちの感覚に影響を与えています。レンガ造りの家からは温かみを、瓦屋根の家からは重厚感を感じるように、建築分野でも素材の質感が印象を左右するのです。

素材の性質に目を向けることで、私たちの日常体験はさりげなく、しかし確かに広がっていくでしょう。

<出典元・参考文献>

Betina Piqueras-Fiszman, Journal of sensory studies, 2012

寄稿者
市川しょうこ
市川しょうこ
化学者
1992年愛知県出身。神戸大学工学研究科応用化学専攻修士。化学メーカーの化粧品・医療品の研究開発を経て、現在はヘルスケア系スタートアップ企業の取締役として分子認識化学を研究している。フィンランドの教科書を活用した認定NPO法人主催イベントでの小学生向けかがく実験教室や、文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業の支援を受けた科学×アートを融合したインスタレーション展示などを行い、人の創造性を探求するために活動している。
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