集合的記憶のメディウムとしての瓦(大村 まゆ記/慶應義塾大学 細谷浩美研究室)
本記事では、日本三大瓦のひとつである島根県・石見地方の石州瓦がどのように成立し、流通しているのかを見通すことで、瓦のもつ記憶のメディウム性について考える。
越境する瓦──石州瓦の歴史と流通
日本の瓦文化は、飛鳥時代に寺院建築とともに百済の職人からもたらされた技術にさかのぼる。島根県・石見地方でも、七世紀後半から八世紀にかけて石州瓦以前の「古代瓦」がつくられていたことが、遺跡の出土品から確認されている。ここから、石州瓦の成立には、現在の中国大陸、朝鮮半島、日本列島にわたる「国境」以前の豊かな海の文化圏があったことがわかる。
現在石州瓦と呼ばれるものの直接的なルーツは、江戸時代後期、石見焼の職人たちの手によってつくられた瓦にあるとされる。幕末から明治にかけて、民家の屋根が茅葺きから瓦葺きへと変わっていくにつれ、石見地方でも瓦の生産業者が増えていった。需要の拡大とともに、石州瓦は地元だけでなく、広域へ流通する建材となる。明治時代には、北前船に代表される日本海海運を利用して北海道や日本海沿岸へ運ばれ、耐候性を備えた建材としてとくに寒冷地で活用された。島根県江津市の調査によると、北海道、山形県、新潟県、兵庫県、さらに韓国でも石州瓦の屋根が見られたという[1]。さらに陸路では中国地方や四国地方、九州へ流通したことがわかっている。重い瓦を運搬するのは困難であったので、技術者が現地に赴き、そこで瓦を焼くこともあった。その結果、製品だけでなく、石州瓦そのものをつくる技術も伝播した。瓦の流通は、モノの流通だけでなく、職人の移動による焼成技術の伝播、赤く美しい屋根景観の拡散でもあったのだ。
高度経済成長期に入ると、住宅建設ブームを背景に瓦の需要はさらに高まり、工場で大量生産可能な「新瓦」が流通した。しかし現在の日本で主流である、ハウスメーカーによって規格化された住宅でそれを使用するには、軽量屋根材に比べてコストが増加するため、瓦を用いた新築住宅は稀になってしまった。
石州瓦の事業者たちは、このような国内の需要低下に際して、国外への輸出を試みてきた。住宅の形態が比較的似通っている中国、台湾、シンガポールといったアジア圏だけでなく、オセアニアへも輸出してきたようだ。さらに、寒冷地での使用に適していることから、ロシアへの輸出も試みられている。
石州瓦のルーツから現在までの歴史を振り返ると、朝鮮半島から伝わった技術が石見地方の風土のなかで翻訳され、美しい赤色の石州瓦を形作った。そして、日本列島の各地に伝播し、現在ではアジア圏だけでなく、ロシアへ輸出されていることがわかる。石見地方と風土の異なるモスクワで石州瓦が用いられるとき、そこではモノを通じた「再翻訳」が行われているのではないか。ここで、石州瓦の歴史は一つの地方に閉じた伝統以上に、越境と翻訳の歴史ともいえる。

根源へと遡及する瓦──土と火を用いた普遍的な製造方法
土を固め、それを火で焼いて建築に用いる行為は、世界中に見られる普遍的な技術である。もちろん、土の質や焼成方法、形は風土ごとに異なるが、瓦を前にしたとき、わたしたちは数万年前からつづく人間の営みに思いを馳せることができる。ともすれば、歴史を遡るだけでなく、未来に目を向けたときにも同様の身体性があるだろう。コンクリートや鉄骨、透明なガラスといった近代的な建材を使い続けることに疑義が呈されている現在、蓄熱や調湿のできる環境負荷の低いマテリアルとして土が再び注目されているためだ。
散逸して生き延びる瓦──群としての建材
石州瓦の名産地である江津市では、かつて大量生産された新瓦や、需要の低下によって現在使われなくなった古瓦が家の軒先や空き地、寺院の庭先に積み重ねられたり、土留めに使われているそうだ。瓦は群として集合して面をつくるため、不具合が出たときには部分的に取り替えることができる。そして、使われなくなった瓦や、予備の瓦が、まちのあちこちに散在する。
ひとつの建物がつくられるとき、群として機能する瓦の個数は、柱や梁の数十倍になる。さらに、日本の古建築の多くは木造なので、雨風を受ければ瓦よりも腐朽しやすい。そう考えると、考古学的には、瓦は他の建材よりも時代を超えて残る可能性が高いといえるかもしれない。つまり瓦とは散逸することで生き延びるオブジェクトと捉えられる。
重層的な時間を露出する瓦
石州瓦は、石見地方の風土とそこに生きていた人々の歴史、ひいては人間が土と火を通じて住環境を構築してきた気の遠くなるような長い時間と接続するための媒質でもある。柱や梁が朽ち、建物そのものが失われたあとも、瓦は散逸しながら残り続け、露出した地層のように、重層的な過去を現在に伝える断片となる。
石州瓦を取り巻く昨今の需要低下や伝統技術の継承に対する危機感は、当然重要な問題である。しかし同時に、瓦の記憶は産地の内部だけに保存されるものではない。石見地方だけでなく、北前船によって瓦が運ばれた土地、技術が伝播した地域、そしてロシアのような新たな輸出先において、石州瓦はこれからも残り続けるだろう。
博物館の展示ケースに収められた瓦だけが、記憶を語るわけではない。空き家の崩れかけた屋根、軒先に積まれた古瓦、寺院の庭先に置かれた瓦、土に半分埋もれた破片のなかにも、石州瓦の重層的な時間が刻まれている。石州瓦とは、そうした集合的記憶を内在したメディウムなのである。
【出典・参考文献】
1.平成25年度 歴史的風致維持向上推進等調査 「古瓦流通体制構築の可能性検証や新瓦による古瓦的外観表現技術等の検討 及びそれら技術の他地域との連携による安定的継承方策の検討(江津市)」 報告書, 国土交通省
2.「掲載企業インタビュー VOL.8 凍結や塩害などに強い高品質を武器に輸出の増大に活路 背石州瓦工業組合」, 島根県ウェブサイト
3.「100年壊れない瓦。極寒のロシアで活躍」, 石州瓦工業組合

