起居と建築 コンセプトなしの建築設計(岡航世/京都工芸繊維大学修士課程三年)
起居と建築 コンセプトなしの建築設計
前回の記事「ヒタヒタの定位」で考察していた起居についても少し考えてみようと思う。文化が絶えず変わり続ける南アジア諸国を旅行する中で 、あらゆる空間を前にして「さて、どのような姿勢で経験しようか」と考え続けていた。それは純粋に経験者としてのまなざしであり、相手の文化・習慣に深い理解がない中で、どれだけ上手く身体が反応するのかということの観察でもあった。空間に導かれて膝をついたり、お辞儀をしたり、わからないなりに振舞った最大限の礼儀は、何よりも正直な身体の反応だったと思う。そういうやり方で空間に向き合ってきたことに気づいたうえで、空間を形作る立場においては、どのように考えを進めていけば良いかということにも考えが広がる。世界中で見て感じた空間をそのままサンプリングしても仕方ないとするとき、起居こそが経験と創作をつなぐ。あのとき身体を上手く曲げられたこと、自然に歩みを遅くしたこと、自分の足音に意識を向けたこと、階段をひとつ飛ばしたこと、そういった起居が何によって支えられていたか。その点において、個人的な経験を他者? とも共有しうる空間を設計することができるのかもしれない。近年のプロジェクトを振り返りながら、このことについて考えてみる。
門衛所プロジェクト
長い間閉ざされていた扉を開け「和室…」と皆で驚いて程なく、その散らかり様にゾッとしました。30年前に門衛所から人が消え、残地物を隠すように覆われた元ブルーシートは粉になるまで劣化し、畳の隙間に入り込み、うっすら青い畳を生み出しています。そんな状況から建築プロジェクトを始めるとき、まず私たちは掃除・片付けを通して、その大きさや収納許容量を実家の部屋と同じやり方で測りました。掃除が進むうちに、「思ったより広い」「思ったより状態がいい」「ここ、頭打つよ、気をつけて」
いつも横を通っていたはずの小さな建物を理解していくうちに、今まで見てきた外観以上の広がりを少しずつ内側に含んできます。
屋内にあった物を全て一度運び出して屋外に並べ、水拭きが終われば門衛所室内に戻すという往復の中で私たちのオーダー(収納)が生まれていることに気づきます。
(暫定のためのノート「2024年2月7日・2月8日大掃除」より引用)

2023年11月から始まった門衛所プロジェクトは、京都工芸繊維大学旧正門および門衛所を舞台に、空間にまつわる実験場として機能してきた。私たちはこの場所がまた使われるようになるための改修や、新たにこの場所でできることを探るための企画を実施してきた。自分たちの表現欲求のままに展覧会を設計し、その都度空間を一か所以上改変する。そして原状復帰をしないということをルールにしてきた。当時、それを続けていけば、いつかは改修が完了するものと考えていた。

自分の身体で、掃除、測量、様々な展覧会のための調整を重ねていくうちに、この場所で考えうる起居のあり方を見出し、そのための空間の形を考える、ということを繰り返してきた。建築が規定する空間ルールを手がかりに自分の身体を曲げるのではなく、建築のほうを変えていく。もちろん、そのきっかけは既存建築の中にある。30年前と現在とでは、同じ空間でも、少し異文化であると言える 。それでも自分の国の空間(和室)であることには変わりなく、その微妙な差異が少し座りを悪くする。そしてそれが形を作る動機になっていく。「空間のあり方が身体をうまく畳むという心地よさ」が今度は逆照射されて、空間に自分が入った時に自分の身体の座りの悪さを観察し、それが解消されるように正直に建築の方をほぐしていく。そういう手つきで2年半を過ごしてきた。
「後天的な天井高の獲得」(2025)を例に上記のことを説明してみようと思う。
床下への関心と「後天的な天井高の獲得」(2025)

30年ぶりに扉を開けてみるまで中が和室であることは知らなかった。和室といっても、割れた窓から入り込んだ砂や、放置されたゴミ、粉になるまで劣化したブルーシートのおかげで座ろうとは思わなかった。土足で上がり掃除をする中で気づいたのは、天井や照明、様々な意匠の基準が低いこと。また、飾り棚などはやはり床座の基準で作られていることなどから、どうしてもこの空間に立っているとき、起居が適切ではないことがよくわかる。つまり自分の身体の座りが悪い。この頃実践したひとつ目の展覧会「掘り出し物展」はそのような床への関心が反映されていたと思う。
本展は、掃除をする中で出てきた物品を調べてキャプションを作成し、門衛所に並べるというシンプルな企画だ。予算がないのでなるべくその場にあるものだけで展示空間を作ることになった。ここで行ったのは、畳を剥がして土足で空間に上がることを来場者に許可し、出てきた床板を傾けて展示台としたこと。


掘り出し物展を事後的に解釈してみると、ある建築に残された物品についての展覧会が当時の生活や建築の使われ方を示し、会場構成(はがされて傾いた床板)が建築そのものの解剖図のようになっている。このことをきっかけに私たちの関心は床下へと向かう。
間にいくつかの実験を行いながらちょうど1年後、私たちは弱体化した床構造をすべて解体し、「地面を掘ったら天井高が上がる」という無鉄砲な試みを実践した。

地面を掘られた後の宿直室にすっぽり身体を投じると、その場がプールのように感じられた。元々そこにあった床板が自分の胸のあたりに来ることで、身体が空間の想定線に浸される。このことが非常に心地よいと感じられた。床が存在する状態ではどうにも座りの悪かった身体が、地面を掘ることで立ったまま床座の目線まで下がる。つまり、土足利用になった門衛所で床座の起居を獲得するための改修であったと言える。生活の範疇ならばベッドで寝るか布団で寝るかという起居の差異が、ここでは大胆な改修の手つきになっている。このことが、起居こそが経験と設計をつなぐ感覚であることを示しているように思う。あるとき自然に身体を曲げられたこと、自然に歩みを遅くしたこと、自分の足音に意識を向けたこと、階段をひとつ飛ばしたこと、そういった起居が何によって支えられていたか。その点において個人的な経験から他者とも共有しうる空間を設計することができるのかもしれない。
暫定のためのふたつの実践
以上のように、目の前の状況に対して要求する起居に対して正直に向き合う中で2年半進められた門衛所プロジェクトの実際は、空間がどんどん複雑に散らかり、建築の規模に対して多すぎる情報量を獲得した。同時に、このままでは収拾がつかないということにも気づき始めた今年、過去の取り組みを一旦整理してみようということになり、ふたつの実践を設定した。空間的な情報整理と、記述的な情報整理だ。
①空間的な情報整理:暫定的な改修案の設計
元々は改修設計をしてやろうなどという大きな目的はなく、一端このタイミングで暫定的な整理が必要だという判断で始まった。


考えたことは以下のふたつだけである。
①過去2年半の取り組みの中で実施された展覧会の会場構成は少しづつ門衛所の形を変えてきた。それらを原状復帰しないことを継続した結果残った状態をいかに整理するかということ。
②現存しない過去の企画を歴史的事実として参照に値する根拠として数えること。
以上を手がかりに門衛所の空間的な情報量を整理していくうちに「これはもはや改修設計と呼べるのではないか?」という話になってきた。実際、図面を書いているし、空間が使いやすくなるように努めている。個別のアイデアが全体に及ぼす影響力も考慮している。そこには先行する明確なコンセプトはなく、しかし徐々に浮かび上がってくる全体像は在った。
例えば、上記の「後天的な天井高の獲得」(2025)では床は掘りっぱなしで、地面には起伏があり歩きにくい。加えて写真にもあるように大引きが床下空間をふたつに分けているため、床下に浸ってみても身動きが取れない。そこで改修案では、床はすべて解体したままにして、大引きも大きく割れてしまっていることから、ブリッジを支えている部分以外を切断することになった。露出した地面や独立基礎の側面の内側に桝形のコンクリートをはめ込み、本来の空間から引き延ばされたヴォリュームであることを示しつつ、目線の高さは和室時代の床座に合わせている。

このように出鱈目な活動の帳尻を合わせるようなやり方で改修を進めている。また、各企画は原状復帰せずに残っているモノのほかに、10日間だけの大規模な仮設建築なども含まれており、以下ではそのような例も含めて紹介する。
まずは、門衛所とその周辺環境のポテンシャルを検証するために実施した実験を紹介する。私たちは仮設建築による実験を「一時的な建築の拡張」(2024)、「場の検証」(2025)と呼んでいる。前者は、建築の幾何学的な特徴を読み取り、それを利用して造形するという試みであった。

まず、並行するふたつの窓を利用して対角線を引いてみる。2分割された広場のうち、道路側ではなく歩行者の多い大学敷地内側にウッドデッキを設けた。建築が設置されていた10日間はそこで昼食が取られたり休憩スペースになっているなどしていた。それが結果的に、勝手口側の空間の欠点だった「足元の悪さ」を改善していたことに気づいた。勝手口側の空間をこれまで使おうと思わなかった原因は、それが建築の裏手であるということよりもむしろ、地面が舗装されていないことにある。加えて、大きなウッドデッキという平面は、その頭上に大きな木があること、その陰がうまく落ちることを上手に受け取り、人がその高さを歩き回ることが、何となく心地よいように思った。


改修案では、不透明なウッドデッキではなく、グレーチングを採用している。というのも元々このあたりの地面がじめじめしていて歩きにくいという要因から勝手口付近の空間の使い方に困っていたため、ウッドデッキによって恒久的な日陰を作ってしまうと、また別の問題を生んでしまうと考えたから。またこの場所では雑草が伸びたり枯れたりする。そのことを許し、楽しむための床を作ろうと考えた。そのために採用したグレーチングは日差しも雨も地面に落としながら人だけは歩きやすく、頭上の木漏れ日を受け取ることができる。これも大規模な実験の結果見つかったささやかだが確かなアイデアだと思う。

「場の検証」(2025)では、「一時的な建築の拡張」のように仮設建築と門衛所が一体化していることは重要ではなかったため、なるべく広く領域を作るために、点と点を線でつなぐような構成にした。


写真を見てみると、どこまでも広がっていきそうな建築でありながら、ちょうど自動販売機の手前までで終わっていることがわかる。後日、他の学生と話す中で、門衛所の領域はせいぜい自動販売機の手前までらしいということがなんとなく現場の状況判断として共有されていることがわかってきた。それもわざわざ仮設建築を立ててみたからこそわかったことであって、企画名通り、場を上手く検証できた例だろう。

改修案では、門衛所から伸びるグレーチングが自動販売機の隣まで伸び、そこへ置き階段を添えてアプローチとする設計を行った。
以上のような大規模な実験は、始めは大きな構造物を作りたいという単なる学生の表現欲求だったが、そこで発見された気持ち良い起居を今後も支えていくために、今年は恒久的な建築が作られる。美しいコンセプトがなくても、これはとても正直なプロセスだ。
その他の改修箇所についても紹介する。例えば、スコップで地面を掘削する3か月前には、床を半分だけ解体して展覧会を行った。


大きな穴ができた事で門衛所を通り抜けられなくなったことで、勝手口側に回って室内に入る必要があった。しかし問題がふたつ。勝手口の前の地面は土が溜まっており、雨の次の日にはミミズがたくさん出てきて、しかもぬかるんで歩きにくい。そこで私たちは土をすべて掻き出しレンガを敷いた。そして勝手口を入るとすぐに床が組まれているものの、開口部の位置に床があると頭を打ちやすい、という経験から床を解体し、そこにもレンガを敷いた。

写真では勝手口の扉の奥に畳が積まれており、それを支える床が写っているが、現在はその床が解体され、小さな開口付近での交通が整理されている。
自分たちで急遽敷いたレンガは目地がなく、人が通るとレンガ同士がぶつかる。その音を鳴らしながら勝手口付近で身をかがめて中に入っていく。このレンガは展覧会が終わった後もしばらく維持することにした。そうすると、以前まで無造作に流れ込んできていた土や落ち葉は自然と、不器用に並べられたレンガの隙間に入り込み、天然の目地材のようになっている。当初はレンガ敷きの上を歩くたびになっていた音も今では、しっかりと連結されている。設置されてから今までの長い月日の中であの場所がレンガ敷きになっていることが気にならなくなって、いざ改修設計をしようと思っても、変更点が思い当たらない。「1年以上前に敷いたレンガを今後も原状復帰しないことにしよう」という選択をすることを設計だと思うことにした。
来場者が皆同じ動きをすることから感じたのは、設計者が起居について考え、空間を改変するとき、それはほとんどダンスの振付に似ているということ。別々の時間に来るバラバラな個人が、門衛所の空間によっておよそ同じ動きをする。このことが設計可能であるのは、私たちの手つきが何よりも起居に根ざしているからだと思った。そしてそのどれもが、強いコンセプトに改修されずとも、身体と空間の正直な応答関係に支えられていることで少しだけ確からしい設計になっている。
②記述的な情報整理:暫定のためのノート

プロジェクトを整理するためのもうひとつの取り組みは、小冊子『暫定のためのノート』の制作だ。ここでは、これまで門衛所プロジェクトに参加した経験のないデザイン科の同級生(鳥越のどか)と制作を行った。非常に情報量の多い門衛所プロジェクトの内容に外からの目線を持ち込み、本という形を与えてみることで、門衛所プロジェクトの輪郭が浮き上がってくるのではないかと考えたからだ。
誌面のデザイナーから門衛所プロジェクトに対する質問リストを用意してもらい、それに回答し、それらQ&Aを関連性のある各企画に割り当てて、日付順に企画を並べるという情報構成とした。このデザインの重要な点はむしろ物理的な本の構成の方にある。

(小冊子データ)
上図は誌面データを並べたものであるが、同じサイズのページがなく、まったくバラバラな紙に一つひとつの企画が印刷される構成になっている。特筆すべきは最後のページで、

このページが紙としては一番長く左には「はじめに」、右には最後の項目である「改修設計 出鱈目な検証と辻褄」が印刷されており、このページがほかのページを包むようになっていること。この構成のおかげで、バラバラだった私たちの取り組みは、すこし取り留めのあるような輪郭を与えられた。できあがった冊子を丸めてみると企画の日付が一周するようになっていて、どのページから開いても最終的に戻ってこられるようになっている。このことから、私たちの建築に対する過去の判断は、少しづつ前後の判断を支えあっており、そのことによってひとつの建築プロジェクトであることがぎりぎり担保されていることに気づいた。




コンセプトなしで建築に向き合うこと
門衛所プロジェクトは、学生の表現欲求によって実施される出鱈目な活動が結果的に建築のポテンシャルを検証し、周辺の場を読むための不思議な物差しになっている。そこに毎度外部から来場者を呼び込み観察することでその場所に合う起居が見つかる。その起居を支えるための設計が後から行われる。2026年10月に竣工するその建築は11月に控えている仮設建築によって再度検証される。そうして自分たちの取り組みが実践されてすぐに史実になっていく。そのような常に暫定的な建築があり得るのではないかと考えている。むしろ暫定的でなければ、人の起居を縛り付ける建築はつまらないもになる。次の瞬間には状況が変わるからこそ制作の手が進む。完成を目指すのではなく、人が関わり続ける限り更新される『暫定体としての建築』を提示したい。




