瓦の建築考

ローマ(周防貴之/建築家、SUO代表)

周防貴之

少し前にローマを訪れる機会があった。ローマには以前に何度か訪れた覚えがあったけれど、出張の慌ただしいスケジュールだったため、何回訪れたかすら忘れてしまうほどの記憶しかない。しかし、その短い滞在の中でも市内を移動すると古代の建築があちこちに残っていたり、バチカンとの城壁が突然現れたり、ローマという街が経験してきた歴史そのものによって街を形作っていて、まるで人類史の一部を経験しているようで、とても魅力を感じた。街のあちこちに点在する遺跡は、建築であることを忘れてしまったかのように、まるで巨岩に手のつけようのない地形の一部であるかのような存在感を示していた。私はそのほんの一瞬通りかかった程度の建築との出会いであるにも関わらず、街の揺るぎない一部として建築が存在していることに心がざわつき、同時に都市という人工的な場所であるにも関わらず、何か大自然の中にいるような開放感が心地よかったと記憶している。

 今回の短いローマ滞在での目的は、パンテオンを訪れることであった。学生の頃からずっと行ってみたいと思っていた建築。建築雑誌で見たトップライトに建築における自然との根源的な関わり方を体験してみたいと思っていたこと、そして、以前の滞在で通りかかった時に感じたそっけない佇まいであるにもかかわらず、その唯ならぬ存在感がずっと記憶に残っていた。一人の人間の生命のスパンを遥かに超越した時間を経験した建築や風景、そして地形は、私にとっていつも示唆的である。そういう意味で、私は古い建築や街に興味があり、ローマを訪れることで、建築が長く存在してきた理由、すなわち、時間というフィルターによって淘汰されなかった理由を肌で感じたいと思っていたのかもしれない。そして、その建築それ自体もさることながら、そういった状況が成立する建築を取り巻く自然環境や社会的環境とはどんなもので、様々な要因がうまく機能しあっているそうした奇跡的な状況に立ち会いたいといつも思っている。

 パンテオンについては、書き尽くされている内容ではあるが、今から約1900年前(日本だと邪馬台国で卑弥呼が生きていた時代)、ハドリアヌス2世の時代に神殿として建造された建築である。その500年後(日本だと聖徳太子が生きていた時代)にキリスト教の教会としていまのような使われ方に変わり、いまも現役の教会として使用されている。建築はとてもシンプルで、直径約43mの大きさのロトンダのドーム状の屋根の頂部に直径9mの穴が空いているというものだ。壁や屋根は火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜて作られたローマンコンクリートと呼ばれるコンクリートのみで作られた構造体で、壁の厚みは下部では6m、上部で1.5mで、軽量化のために場所ごとにコンクリートの配合を変えたり、壁の内部に窪みを設けたりと様々な工夫がなされている。そうした工夫は、構造的合理性のために行われていると同時に、それらは意匠のために施されたものとしか見えないような、合理性と装飾性が同時に作り出されている無駄のない作られ方には驚くばかりである。1900年前にすでにコンクリート造という技術があり、それだけではなく、材料の持つ特性を最大限生かした高い技術が確立されていた。そして、パンテオンのあちこちの石に刻まれているラテン語などの様々な文字をAIを頼りに読み解くと、時代時代でパンテオンがどのような役割で存在していたかが理解でき、昔の人からのメッセージとして託された建築であることが建築全体を通して伝わってくる。

 閑散とした細い路地を抜けると、大きな広場にその古ぼけた建築は鎮座している。その静かな佇まいとは対照的に周辺は観光客で埋め尽くされていた。ポルティコと呼ばれる列柱空間を抜け、巨大な扉を抜けると、これまで写真で何度も見てきたトップライトを通して、光があった。旧約聖書創世記の天地創造に形が与えられたような建築だと思った。光のもとに多くの人々が集い賑わっており、空気は空に向かって少しだけ流れが感じられ、音は円形のロトンダ全体にこだまし、環境音を生成する音響装置のようだった。光は刻一刻と変化し、内部空間に外がある感じがした。太陽から届く光は、直径9mの開口を通って直径43mのロトンダという別の外を作りだし、支配的に存在していた。ロトンダに入るまでは当たり前すぎてあまり意識していなかった光が、建築化されたことで太陽から届いているという事実に気づく。おそらく私と同じように、ロトンダに来た多くの人はその事実を身をもって知り、今見ている光が太陽から宇宙空間を通過し、地球の表面まで届いているということを再発見しているだろう。私は太陽からの光がどのようにこの場に届いているのかを知りたいと思い、スマホを取り出し検索してみた。太陽の内部で起こった水素の核融合が発する光、その光が8分19秒かけて約1億5000万kmを通過し、いまこの場に届けられている。まさにいま生成された光を感じてみたいと8分19秒にスマホのタイマーを設定した。8分19秒待っている間、光が通過した宇宙空間のことを思った。光が8分19秒で通過する1億5000万km、数字が日常からかけ離れすぎていて想像もつかないので、自分が日本から飛行機で移動してきた14時間半と9500kmという距離感を頼りに、頭の中で地球儀を1秒間に7周半回し、その距離を必死に実感し、宇宙空間を旅してきた太陽からの光を感じ取れた気がした。そして、実際にどのくらいの時間を過ごしたか定かではないが、ロトンダに差し込む光が照らしている位置が変わっていることに気がつき、毎日体験していることではあるが、地球はいままさにこの分、自転したということも身をもって知った。

 パンテオンは、確かに感動的な光に満たされたリアルな場であり、同時に自分のいる場所と太陽の内部を想像させる虚な場でもあって、自分がその場にいるようでいないような建築だった。パンテオンは事前の想像とは全く違う建築だった。しかし、1900年も前に作られた建築が時間を超越して私たち来訪者に瑞々しく語りかけ続けてくれていることは実感できたし、建築が作りうる建築のあり方や可能性の一端は体感できたように感じた。しかし、建築という人類の知性がとてつもなく大きいもので、体感できたのはそのほんの一部であるということも同時に感じた。いくら時間を経ても全く古びれない建築。その場に実空間があるようでないような建築。大いなる存在としての超越的な時間と空間を想像させてくれる建築。パンテオンを通して建築を知りたいと思っていたけれど、建築のことはほとんど何もわかっていないという事実を知った貴重なローマでの一日だった。

寄稿者
周防貴之
周防貴之
建築家、SUO代表
慶應義塾大学大学院理工学研究科を修了後、妹島和世建築設計事務所・SANAAを経て、2015年にSUOを設立。建築設計を中心に活動し、Chim ↑Pom「ハッピースプリング」展(~2022/森美術館)の展示構成をはじめ、アーティストや様々な作家との協働による建築プロジェクトも進めている。主な建築作品として、れいがん茶屋(2021/香川県)、高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」(2022/香川県)、Danh Vo House (2024/京都府)、大阪・関西万博テーマ館河瀨直美パビリオン(〜2025/大阪府)などがある。プロフィール写真 © Naoki Ishikawa
SUO
記事URLをコピーしました