瓦の建築考

「土の条件」 ─福島における大地の再設計─(アサノコウタ/建築家)

福島における大地の再設計
アサノコウタ

本稿でいう「土の条件」とは、土が単なる自然物としてではなく、安全性、社会的信頼、身体的関係といった複数の前提条件を満たしてはじめて大地として成立するという状況を指している。

与えられていた地面

震災以前、土は足元にあるものとして存在していた。地域性や土着性を語る際に象徴として扱われることはあっても、触れること自体が問題となることはほとんどなかった。建築や都市を支える基盤として、地面とは与えられているものであり、土は意識されることなく静かにそこにあり、疑う対象ではなかったのである。

疑われる大地

しかし福島では、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電事故以降、その前提が大きく揺らいだ。足元の土は、触れてよいかどうかを判断しなければならない対象となった。どの土に触れられるのか、どこで遊べるのか。被災者が県外へ保養に出向き、土に触れる機会を求める一方、自身の住環境の自然はそのままでは信頼できないものとなってしまった。

フレコンバッグに詰められ、仮置きされた除染土

震災直後、福島では放射性物質を含んだ大量の土が剥ぎ取られ、袋に詰められ仮置きされた。それまで大地の一部だった土は「管理される物質」となり、安全が確認された土は、日常環境に存在する自然ではなく、環境資源として扱われるようになった。これは単なる環境問題ではなく、人と大地との関係そのものを問い直す出来事だった。

それまで土は、どこの土地のものであるかという文化的意味を担っていた。しかし震災以後の福島では、その文化的な文脈よりも「安全かどうか」という条件が優先された。土は判断対象へ、さらに管理される資源へと位置づけが転回したのである。

屋内に大地をつくる-「屋内の大地」プロジェクト

「屋内の大地」プロジェクト/震災前と同じ「日常」として自然に触れることができる

この状況のなかで私が取り組んだのが、商店街の空き店舗を活用したコミュニティスペース「屋内の大地」(福島県二本松市)である。放射能に汚染されていない土や落ち葉、植物を海外や西日本、日本海側各地から集め、屋内に大地を構成した。外で自然に触れることが難しい状況に対し、人が安全な土地へ移動するのではなく、安全な自然を資源として福島へ移動させ、「日常的に自然に触れられる環境」を設える試みだった。

ここで重要だったのは、土を素材として持ち込むだけではなく、自然地形としての大地を成立させることだった。地面とは単なる平坦な支持面ではなく、人が触れ、歩き、座り、掘るといった身体的関係を結ぶ環境である。こうしたアフォーダンスを備えることで、単なる屋内の遊戯場ではなく、自然環境として経験される大地が成立する。震災以前には意識されなかった「触れられる大地」という条件が、ここで初めて建築的に設計対象となった。この考え方は、その後の屋内空間の設計へと展開していく。

地面を設計する実践

「屋内の地形」プロジェクト/東邦銀行「とうほうわんぱくランド」

「屋内の地形」プロジェクトでは、東邦銀行のプロジェクトとして整備された「とうほうわんぱくランド」(福島県福島市)において、野球部の屋内練習場を屋内公園にリノベーションした。それまでは運動するための空間として踏み固められていただけの地面は、震災後には屋内にあった故、「放射性物質を含まない安全な土」という価値を帯びる。社会状況の変化によって、同じ物質の価値が変わったのである。私はその地面を有志のメンバーとともに掘り起こし、設計した起伏ある地形へ再構築した。空間は平らな床ではなく回遊可能な地面として構成され、子どもたちは登り降りしながら立体的に空間を経験する。

「屋内の山地」/インドアパーク「みなくる」

さらに「屋内の山地」プロジェクトでは、福島市のインドアパーク「みなくる」を設計し、段々状の棚空間と植物配置によって山のような環境を構成した。ここでの地面は支持体ではなく、身体行為を誘発する環境である。斜面を登れば身体に負荷が生まれ、頂に立てば視界が変わる。地面は空間の下部ではなく、経験を生成する主体として扱われている。

これらは別々のクライアントとのプロジェクトだが、震災後の福島において建築内部に信頼できる大地を成立させるという、一貫した概念のもとに設計してきた実践である。「屋内の大地」は自然の代替ではない。社会的条件のなかで再構成された、新しい意味での大地である。

大地との関係を結び直す -プロジェクトFUKUSHIMA!「福島大風呂敷」

プロジェクトFUKUSHIMA!/「福島大風呂敷」

同時期に行われた プロジェクトFUKUSHIMA! は、文化活動を通じて「福島の現在(いま)を発信する」ことを目的としたプロジェクトである。2011年に音楽家の大友良英、遠藤ミチロウ、詩人の和合亮一らを中心に始まり、当時はこの三者が代表を担った。現在は山岸清之進が代表を務めている。音楽フェスや展示、ワークショップなどを継続的に実施し、人が集まり時間を共有する場そのものを更新し続けている。

このプロジェクトにおいて私は、美術家の中崎透、小池晶子とともにディレクションを担当し、文化実践と空間実践が交差する現場として、継続的に関わっている。

その象徴的な試みのひとつが 「福島大風呂敷」 である。制作の背景には、放射能衛生学博士・木村真三氏からの助言があった。震災から半年も経たない福島に多数の人々を迎え入れる際に、地面の上にブルーシートや布地を広げるだけでも、外部被曝量を低減させ、靴裏からの放射性物質の拡散も抑える効果が期待できるという助言である。この助言を契機に、全国から寄せられた布を縫い合わせ、巨大な大風呂敷というパッチワークを制作するプロジェクトが始まった。

2011年8月に開催されたフェスティバルFUKUSHIMA!では、そのパッチワーク状の大風呂敷を来場者とともに広げ、福島市の四季の里に約6,000㎡の面積として展開した。実際には大風呂敷が敷かれていない範囲も存在し、完全な防護を実現するものではなかった。しかしこの行為は、放射性物質を拡散させないというプロジェクトメンバーの意思表示であり、同時に「未来は私たちの手で」という理念を体現する実践でもあった。すなわち、自分たちの場を自分たちでつくるという社会的表現である。

6000㎡に広がるパッチワークは強い祝祭性を帯び、日常とは異なるハレの場を生み出した。大風呂敷の上でくつろぐ来場者や市民の姿は、単なるイベントの風景ではなく、震災後の不安のなかで共有された時間と空間の回復を示していた。そこには笑顔もあれば、涙もあった。大風呂敷は単なる防護材ではなく、人々が再び同じ地面を共有するための社会的な基盤として機能していたのである。

プロジェクトFUKUSHIMA!/「福島大風呂敷」の上で、フェスティバルを楽しむ福島市民や来場者

「福島大風呂敷」が大地との社会的距離を調整する装置だとすれば、「屋内の大地」「屋内の地形」「屋内の山地」は、身体が直接関われる大地そのものを建築内部に成立させる試みである。前者が社会的関係を結び直すプロジェクトなら、後者は環境そのものを設計し直すプロジェクトである。

大地を成立させるという課題

これらの経験は、私自身にとって、建築の役割を改めて問い直す契機となっている。建築はこれまで、与えられた地面の上に構築するものだった。しかし震災以後の福島では、地面そのものが設計対象となった。安全性、管理、身体経験、社会的信頼といった条件を含め、大地を成立させることが建築家の課題となったのである。

これは福島だけの特殊な問題ではない。都市化や環境変化が進むなかで、自然は今後ますます条件付きで成立するものになる可能性がある。安全な水、管理された緑、人工的に保証された環境。そうした時代において建築は、単に建物をつくることではなく、環境そのものを設計する行為へと変わりつつある。

この認識は現在の実践にもつながっている。私は林業を生業とする仲間とともに、地域の自然環境を循環させる生産スキームの構築に取り組んでいる。福島での実践は、その未来を先取りしている。大地は与えられるものではなく、条件のなかでつくり直されるものになりつつある。

寄稿者
アサノ コウタ
アサノ コウタ
建築家
1983年福島県福島市生まれ。2009年慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。「うつくしま、ふくしま」をモットーに地域環境デザインを試みる建築以下の設計事務所「BHIS」を主宰する。建築設計の領域に留まらず、グラフィックからプロダクトやコミュニティのデザインまで、福島県という地域の中で横断的な取組を行う。近年はデジタルファブリケーション技術を活用した事業や、社会実験団体「FuTU」(Fukushima Tactical Urbanism)のアドバイザーとして若者と共にまちづくりに寄与している。芝浦工業大学/宮城大学、非常勤講師(短期集中講義担当)。
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