瓦の建築考

フードスケープ考 Vol.2-3 エネルギー(森田敦郎/人類学者×正田智樹/建築家)

ShodaTomoki

今回は、前回のフードスケープ考に続き、森田敦郎(人類学者)と正田智樹(建築家)の対談となります。

森田 敦郎

大阪大学人間科学研究科人類学研究室教授、大阪大学フォーサイトで取締役およびリサーチ技法の講師。

科学技術の人類学を専門とし、専門は、大規模技術システムであるインフラストラクチャーと環境の関係についての研究。現在は、気候変動と日常生活をエネルギーや物流のインフラストラクチャーがどのように媒介しているのかを研究している。また、インフラストラクチャーと社会の関係を作り替える手法としてのデザイン人類学の研究も行なっている。

技術人類学から見たエネルギーと風景

森田
従来の人類学が扱ってきたのは、例えば土器作りや農業で牛をどうやって使って鋤を引くかなど、畜力や人力に注目した技術なんですよね。漁業もそうなんですけども、どちらかというと人間中心の技術で、ピエール・ルモニエのシェーン・オペラトワールのような、どうやってものを作るか、どうやって建物を作るか、運搬するか、組み立てるか、加工するかみたいな人間中心の営みなんです。だけど、フードスケープで出てくるテクノロジーっていうのは、自然の中にあるエネルギーをキャプチャーして使う。だから治具じゃないですか。そこがすごく新しいと思いました。

従来の視点は、技術の連関が人間の作業に限定されてる感がありますが、フードスケープから見えてくるのは、もっとエネルギー中心な感じがしたんです。まさに光とか風とか湿気とか、食の生産にとって必要な存在を前に、人間がどういう工程でどういう作業をするかといったような。

正田
そうですね。食の生産では、人間もその建築と同じように工程を進める、その手助けをしているという形ですね。

森田
そういう視点で描かれるから、よりエネルギーがハイライトされているのかなと思いました。ルモニエはシェーヌ・オペラトワールを技術の人類学として発展させるため、塩田の研究を行いました。

Paludiers de Guérande: Production du sel et histoire économique (Mémoires de l’Institut d’ethnologie), Pierre Lemonnier, Musée de l’homme, 1984

正田
作業とか、道具の技術史みたいなものが、人間中心になっていき、人間の動作を真似ようとして機械が発達していき、それによって逆に人間が従属的になるみたいなことが起きていると思います。技術の人類学が人間中心の研究に偏りすぎていってしまった結果、機械中心の生産体系が生まれたんでしょうか。

森田
そうですね。それもあると思いますね。フードスケープでもうひとつ思い出した議論に、ルイス・マンフォードというアメリカの技術史の元祖みたいな人が、『機械の神話』の中で、“メガマシン“という、コンセプトを展開していたのを思い出しました。メガマシンというのは、マンフォードが機械の起源について議論するところで出てきます。フランツ・ルーローというドイツの工学者が19世紀の中に考えた機械の定義があって、それは複数の部品が組み合わさり、それが外からエネルギーを与えられると相対運動するというものです。工学的な機械の概念は、いろんな部品が組み合わさり、それが互いに物理的な制約を与えるので、クランクシャフトが回転を縦にするように、物理的な制約をうまく使って運動を伝達していきます。

マンフォードはそれを考えたときに、実は近代的なポータブルな機械ができる前に、機械はあったと言う。その例として、古代エジプトのピラミッド建設にはクレーンもあったし、石材の切り出しもされていた。全体が互いに制約を与え合って、連動して運動エネルギーを使う機械だと。それらの間に、たくさんの人力が入ってる。だから最初の機械というのは、エネルギー源として人力を大量に導入し、ひとつの国ぐらいのサイズで動く。巨大な人工物と、労働チーム、作業チームの組み合わせからなるとても大きな機械がメガマシンということです。

ルイス・マンフォード, 樋口清訳, 機械の神話 : 技術と人類の発達, 1990, 河出書房新社

正田
メガマシンというのは、人々が歯車のように動いているようなことですね。

森田
マンフォードは、原理的には、結局いろんなパーツが相対運動して、運動エネルギーを伝えて、それらを積み重ねてピラミッドにしているので、基本的に機械工学の機械と同じであると言っています。そこから中世になると、水車や牛を回して粉を挽いたり、エネルギー源が人や川、牛だから、大きくなる。

もともと機械というのはものすごく大きかった。それが化石燃料の発展によりスタンドアローンな物体として見えるように変わってきたんだけど、本当はもともとの機械っていうのは,ピラミッド建設みたいな、いろんな要素が、いろんなエネルギー源を組み合わせて、連動して運動エネルギーを伝える巨大なネットワークみたいなもだと。どんどんコンパクトになって、ひとつの取り外し可能なコンポーネントみたいになっていくのが機械の進化の歴史ですね。

森田
フードスケープを見たときに、まさにメガマシンだと思いました。マンフォードの技術論はすごい影響力があったんですが、忘れ去られています。建築だとジークフリート・ギーディオンなどが影響を受けているんじゃないかと思うんです。だけど、もう今はあんまりメガマシンとか忘れ去られている。フードスケープは景観自体がひとつの機械として働いているように見せてくれるような気がして、すごく面白いと思っています。

正田
ありがとうございます。メガマシンというと、素人考えですが外力を加えるとあとは機械が相対的に自動で動いていくようなイメージを受けます。フードスケープは食の生産を行うというひとつの目的に向けてつくられています。自然エネルギーを導入すると、植物が成長し、人々がそれを収穫して、微生物が発酵を促している。しかし、歯車と違うのは外的な自然のエネルギーが均一でないため、その日の天気に合わせて状況判断をし、調整する働きをしないといけないということですね。そのためには状況に併せて対応できるスキルがないとできないです。そこが聞いていて少し違うところだと感じました。

森田
それから“オーガニックマシン”という概念もあって、これはリチャード・ホワイトという歴史家が書いた本のタイトルで、日本語にはなってないんですけど。これは、コロンビア川の歴史の本で、大きなダムがあって、電力を作っているマシンなんですよね。その歴史を紐解くと、先住民の時代は鮭漁の中心地で、その鮭を流域で様々な形でエネルギーを採取していたんですけども、そのマシンとしての川の性質がどんどん変わってくる。先住民はまさにフードスケープ的な形で、このコロンビア川をというマシンに接続していたのが、入植者が入り、漁業が産業化していくと、また違うやり方でエネルギーの流れが変わり、最終的にはダムを作って川から電力エネルギーを取り出すという形になっていく。そうした川から採取するエネルギーの変化を通して、コミュニティの自立性や社会のあり方まで論じられている。

 Richard White, The Organic Machine -The Remaking of the Columbia River, Hill and Wang, 1996

正田
面白そうですね。エネルギーの質が変わっていっているというか、最初はカロリーだったものが、電力エネルギーへ変わっていく。こうした研究は今も、脈々と続いているのでしょうか。

森田
そうですね、続いていると思います。エネルギー人類学という分野があるので、特にこの本が出た90年代半ば、2000年ぐらいから再び研究の関心が高まってきて、インフラストラクチャーの研究というのはまさにそうした観点でやられています。インフラストラクチャー、オーガニックマシン、フードスケープは、少しずつ違うと思う部分が結構あるんです。近代的なインフラストラクチャーって、エネルギーとか物資を循環させるための装置なんですよね。だからマシンなんですけど、とにかくエネルギー生産をして循環させるもの。目的が一般化している。だけどフードスケープは特定のものを作るために精密にアレンジされた景観じゃないですか。その意味では本当にマシンっていうか。だから、かつては景観スケールのマシンがあったけど、化石燃料によって小型化できるようになったから、機械はどんどんちっちゃくなっていって、景観スケールでできていたものは、むしろ一般的な目的のためにエネルギーとかモノとか情報を流通させるインフラストラクチャーに取って代わられたのじゃないかと。

正田
もともと大きな景観だったものが、機械とか化石燃料によって、小型化していくとは?

森田
それによって景観スケールで成立する、かつてフードスケープみたいなレベルで存在していた大きな人工物っていうのは、エネルギーとか物とかを循環させるためのインフラストラクチャーに取って代わられたっていうか。もともとは機械自体が景観スケールで存在してたんですけど、それは小さくなるじゃないですか。その代わりに景観スケールで成立するのは送電網か、水力ダム、水力ダムから電気を送る送電網みたいな。インフラストラクチャーって定義上特定の何かをするシステムじゃないんですよね。インフラストラクチャーって、その上でいろんな活動が行えるようになるような基幹システム。だから目的が一般化されていて。特定の何かを作るための機械じゃないんですよね。

かつての景観スケールの技術的な関係性って、機械に近いというか、そういうものがどんどんなくなっていって、景観スケールで成立する技術って、そういう機械たちにエネルギーを供給するためのインフラストラクチャーとかに変わっていった。

正田
そういうことですね。もともとは石柱や石積みのようにエネルギーが見える化したり、人間のスキルがあるからできていたものが、だんだん機械化、小型化されていくと、それらを動かすのは電力だったり化石燃料なので、逆にそれを支えるための送電網が巨大化してきて、景観を支配し始めたということでしょうか。

そう考えると、景観を守ったり、イヴァン・イリイチのエネルギーの自立性のように、道具を使うとか、建築を使うとか、自分のスキルを使って、エネルギーを自分の手元に引き寄せるために必要なことを考えなくてはいけない。もともとは自分たちの暮らしを自給自足で支えていたが、大規模になるとサービスに頼りきりになってしまう。その間のプロト工業化のような水車などのエネルギーを使っていた中小規模生産の時代に使われていた道具や建築、先ほどの産業革命前のテクノロジーのお話とすごく近いと思うんです。その道具や建築をデザインしていくことをやってみたい。

森田
そうですね、まさにそのあたりが大事になってくると思います。ひとつはオフグリッドの実験。一緒に都市エコロジー観測所をやっている山見拓さんは雨水を利用したり、太陽熱を使って水を温めるシステムを試作するなど、エネルギーの自立みたいな点ではやっぱり面白いです。水とか電気とか熱の自給みたいな、オフグリッドの実験はいろんなところでやられてて、実は人類学とか地理学でも結構研究されています。フィリップ・ヴァニーニの『オフ・ザ・グリッド』もそのひとつです。

Phillip Vannini, Off the Grid, Routledge, 2014

森田
このヴァニーニの研究の面白いところはエネルギーを自分で作ることによって、感覚的にエネルギーがどれぐらい作られているか、身の回りのエネルギーの流れが感覚的にだんだんわかるようになってくるところです。それによりエネルギーの消費を調整できたり、節約できたりするわけです。そういうエネルギーのコントロール感覚がオフグリッドを通して育まれる。まさに自分の身の回りのエネルギーの流れを感じられるようなテクノロジーがあるのじゃないかと。

正田
ありがとうございます。今日お話しいただいき、最初から最後まで一貫していたのは、どのように自分の身の回りのエネルギーをコントロールできるかということでした。そのために、まずは見える化が大事。どのように見せるか、どのようにエネルギーの使用感覚を養うかをデザインしていくことが大切だと感じました。

次のステップは、自立的なエネルギーのコントロールのための道具や建築です。フルーツウォールや石垣苺のような産業革命以前の建築はエコロジカル治具としての側面があり、そうしたものをこれからも収集し、知恵を蓄え、設計に活かしていきたいと思います。

エネルギーを自分の手に取り戻すための、道具や建築のデザインを引き続き議論したいです。よろしくお願いします。

寄稿者
正田智樹
正田智樹
建築家
1990年千葉県生まれ。幼少期から青年期にかけてフランス、インドネシア、中国、ベルギーで生活し、多様な文化や環境に触れる。2014年東京工業大学工学部建築学科卒業。2016-2017年ミラノ工科大学、2017年東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻を修了。在学中に日本各地の伝統的なものづくりの工房やイタリアの伝統食の生産の現場を調査。2018年-2025年竹中工務店設計部にてオフィスビルや劇場、展覧会の設計に携わり、グッドデザイン賞、ウッドデザイン賞、JID賞、空間デザイン賞など受賞。2026年独立、東京科学大学大学院博士課程在籍。人々の暮らしや食文化を基点に建築を設計する。著書にイタリアと日本の伝統食と建築、風景を描いた『Foodscape フードスケープ–図解 食がつくる建築と風景』がある。
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