瓦の建築考

忘れられない記憶、瓦の風景を守るために。(村上日奈子/慶應義塾大学細谷浩美研究室)

日奈子村上

記憶にある風景

小さい頃から、親の運転する車の中からぼーっと外を眺めるのが好きだった。特に好きなのは山間を走っているときで、夏のころなんかは一面に広がる緑の中にぽつぽつと咲く山藤の紫を探したものだ。急に視界が開けたかと思えば、一斉に赤が飛び込んでくるのもお決まりだ。雨で洗いたての赤茶の瓦、名も知らない、赤瓦の屋根が広がる集落は、広島に住んでいた私のよく知る風景だ。

瓦のあるまちで

大学生になって初めての夏、島根県大田市大森町を訪れた。大森町は、世界遺産「石見銀山とその文化的景観」として登録されている歴史ある町で、島根県のほぼ中央に存在する。

自転車に乗って町内を巡れば、まず目に飛び込んでくるのは、時が止まったかのような古い家並みである。江戸時代末期に起きた大火によって多くの家屋が焼失してしまったが、現在はその直後に再建された木造建築が多く残っている。窓や軒のデザインは一つ一つ異なるものの、通り全体を通して軒の高さがそろっているため統一感があり、スケールやデザインなどがバラバラな現代都市の住宅街では得られない滞在体験がそこにはある。

大森町の町並み。軒の高さがそろっているため、歩いていると自然と視線が道の奥に誘導される。

(島根県大田市大森町にて、2025年8月13日に筆者撮影)

自然が豊かな大森町で、さらに見事なのは、このまちを丘の上から見たときの景色だ。丘の上から見渡せば、そこには素晴らしい眺望が広がっている。山の谷間に細長く連なる家々の屋根の「赤!赤!」な姿。そして視界のふちを彩る木々の緑。そのコントラストを、1年経った今でも鮮明に覚えている。

(島根県大田市大森町・観世音寺にて、2025年8月13日に筆者撮影)

丘に上がり、草木の隙間から町を望む。家の高さがほとんど変わらず、宝石を敷き詰めたようにも見える。

「ああ、いつまでもこの町を散策していたい」と思ったものである。

どうしたらこの景色を守れるか

こうした昔ながらの「瓦のある町並み」をいつまで残していけるかという課題がある。家は人に使われなければすぐにその形を保てなくなってしまう。瓦屋根は暮らしの中で手入れを重ねてこそ美しさを放つものである。しかし、

和瓦のある町並みの多くは地方に存在する。人口減少や都市への人口集中によって空き家が増えている昨今では、この美しい町並みを保つことは難しいだろう。

家は暮らしとともにある。そして暮らしは働くこととともにある。

それが、狩猟なのか農耕なのか。

それが、職人技術なのか大量生産なのか。

それが、アナログなのかデジタルなのか。

時代によって働き方は変わる。しかし、その町で暮らし働く人がいる限り、町は続いていくことができる。ならば、新しい働き方をこの町に結びつけることができれば、瓦のある風景を未来へ受け継ぐことができるのではないだろうか。

新しい事業のチャンス

これまで大森町は銀産業を軸に経済が成り立ってきた。山から採掘された銀が町へと運び込まれ、人々は家で鋳造や加工を行っていた。江戸時代には代官所を中心に多くの人が行き交う賑やかな町だったという。しかし、銀の枯渇によって、その風景も失われてしまった。

現代においては、奇しくもパンデミックをきっかけに多様な働き方への理解が進んでいる。リモートワークやワーケーションの普及、通信技術や物流システムの発達によって、あらゆる場所、形態で事業を起こせるチャンスがある。

テクノロジーを活用した、場所にとらわれない働き方を広げ、地域に働き手を迎え入れていくことが、「瓦のある風景」を残していくための鍵になるのではないだろうか。

(筆者作成)


【出典・参考文献一覧】

文化庁「大森・銀山」『文化遺産オンライン』(2026年4月25日閲覧)

寄稿者
村上日奈子
村上日奈子
慶應義塾大学 細谷浩美研究会
2007年に広島県に生まれる。幼少期を広島・ドイツ・神奈川で過ごし、土地ごとに異なる人々の暮らしや街のあり方を間近に見て育つ。現在は慶應義塾大学環境情報学部で都市デザインを学び、神保町をフィールドとしたリサーチに取り組んでいる。「都市は人の行動をどこまでデザインできるのか」という問いに関心を持ち、人流データやマップ、行政資料を組み合わせながら、人々の回遊行動や地域経済の構造について研究を進めている。
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