瓦の建築考

ひとつの場所では成り立たない― 分散と集約の間にある石州の瓦産業 ―(金子はる/慶應義塾大学細谷浩美研究室)

金子はる

石見地方の赤い屋根

日本海沿岸では、日差しによって輝く赤褐色の瓦屋根が広がっている。この土地ならではの美しい風景は訪れた人の心に深く残る。この風景を支えているのが、島根県石見地方を産地とする「石州瓦」である。

 太陽の光で照らされ、輝く「石州瓦」

石州瓦は三大瓦産地のひとつとして知られ、島根県初の地域団体商標に登録されている1,200℃という高温で焼き上げられることで、凍害や塩害に強く、日本海沿岸地域の厳しい気候に適した性能を持つ。その丈夫さから全国の沿岸地域へ広がり、石見地方を支える産業となっていった。

しかし、石州瓦産業の特徴は瓦そのものの性能だけではない。この産業は、ひとつの場所で完結するものではないのである。

海沿いに広がった産業

石州瓦は、大田市、江津市、浜田市、益田市で役割を分散させながら成立している産業だ。その背景には、この土地の地質と歴史がある。

石州瓦は、江戸時代初期に浜田城天守閣を葺くため、大阪の瓦師が製造から施工までの技術を石見地方へ伝えたことから始まった。当時、瓦は防火性や権威を示すものであり、まだ地域に根付いた産業ではなかった。しかし明治時代に入ると、石見地方の港町は発展し、特に外ノ浦は北前船の寄港地として栄えるようになる。そこで石州瓦は海運によって全国へ広がり、それぞれの地域に根付いた技術とともに、国民的な建材と認識されるようになった。

広がり、集まっていく

石州瓦の原料となる粘土は広範囲に分布する都野津層中層から採取され、釉薬には松江市宍道町で産出される来待石が用いられている。粘土資源が浜田市や江津市に広く分布していたため、瓦を焼成する窯も各地へ分散して立地することになった。一方で、来待石の産地や流通は一部の地域に集中し、その傾向は産業の拡大と効率化の名のもとに、ますます進んでいった。つまり石州瓦産業は、完全な「分散」でも「集約」でもないかたちで成り立っている。土地に広がる資源を基盤に「分散」しながら、産業化によって「部分的集約」を進めてきたのである。

「分散」と「集約」の石州瓦

風景を支える分散

現在、日本国内では人口減少や住宅様式の変化によって瓦需要が減少し、産業全体の規模が縮小している。また、日本海沿岸を走る国道9号や、山陽方面へ向かう国道191号など、限られた交通網への依存も課題となっている。

一見すると、この分散した構造は非効率にも見える。しかし、拠点が複数に分かれていることで災害リスクを分散しながら、地域間のつながりを維持している。また石州瓦は、屋根材だけでなく瓦チップや舗装材、園芸資材などへの再利用も進められている。

効率化や大量生産が重視される現在において、石州瓦の産業構造は時代遅れに見えるかもしれない。しかし、土地の資源を用い、地域に分散しながら成立してきたこの産業は、単なる工業製品とは異なる価値を持っている。赤褐色の瓦屋根が連なる日本海沿岸の美しい風景は、効率だけでは生み出せない。そこには、土地の気候に適応した素材と、地域同士のつながりによって支えられてきた伝統がある。

暮らしの中にある赤褐色の屋根

石州瓦は、単なる伝統産業ではない。土地の地質や流通、人々の暮らしによって形成されてきた、地域そのものの構造である。だからこそ石州瓦産業は、これからも山陰地方の景観や暮らしを支える存在であり続けるのではないだろうか。

寄稿者
金子はる
金子はる
慶應義塾大学 細谷浩美研究室
建築や災害を学んでいます。47都道府県制覇を目標に毎月旅をし、気になった文化や祭りを写真に残しています。石州瓦を自分の目で見てから文章を書きたいと思い、島根県を訪れました。街の至るところで、太陽の光を受けて輝く石州瓦に出会いました。瓦は建築材料であると同時に、土地の風土や人々の知恵を映し出すものなのだと感じました。
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