⽯州⽡と沖縄⾚⽡ それぞれの「⾚」と「線」が持つ意味とは(渡邉啓太/慶應義塾大学細谷浩美研究室)
「⾚い⽡」と聞いて最初に思い浮かんだのは、沖縄県の街並みだった。真っ⻘な空とエメラルドグリーンの海に調和する⾚さを持つ⽡は、沖縄を訪れた⼈なら⼀度は⽬にしたことがあるであろう。しかし、その代表格として挙げられるのは、⽇本三⼤⽡の⼀つとされる、島根県⻄部・⽯⾒地⽅で⽣産される⽯州⽡である。⾚い⽡が作り出す⼆つの世界の違い、そしてこの「⾚」が持つ意味とは何なのだろうか。

⽯州⽡の凛とした光沢のある⾚を⾒た時、⾃⽴した強い印象を受けた。頑丈な⽯州⽡を使⽤して⽇本海からの寒気を遮断し、⼈々が暮らしを守ってきたように、その重厚感あふれる⾚さには、地域の⼈々の⾃然に対する「守り」の姿勢を⾒ることができた。⽯州⽡が持つこの「守りの⾚」の⼀⽅で、沖縄⾚⽡の⾚さは「共⽣の⾚」なのではないかという⾒⽅が浮かんでくる。ぼってりとした温かみのあるマットな⾚⾊は、⽯州⽡の持つ強さではなく、優しさを与えてくれる。度重なる台⾵を耐え凌ぐ頑丈さを持ちながらも通気性がよく、熱を逃がすことができる沖縄⾚⽡は、⾃然を「遮断」する⽯州⽡とは対照的に⾃然を受け⼊れ、「共⽣」する⽡に⾒える。⼆つの⾚は単なる⾊ではなく、それぞれの地域に暮らす⼈々の⾃然に対する姿勢や⼯夫を表すものだ。
さらに、⼆つの⽡が描く「線」にも注⽬したい。⽯州⽡の屋根は⽡同⼠が重なり合って規則正しいラインを描く⼀⽅で、沖縄⾚⽡の屋根は漆喰の盛り上がりもあってか、不規則な曲線を描く。⽯州⽡は江⼾から明治時代にかけて⽯⾒地⽅だけでなく⽇本海沿岸の広い地域で普及した。どの地域・でもどの住居でも、どの職⼈でも葺けるようにと商品としての規格化が求められ、美しい直線が誕⽣した。⼀⽅沖縄では、琉球王国時代まで王族の住まいと寺社仏閣のみにおいて許されていた⽡屋根が、明治時代の制度撤廃によって⼤衆化。拡⼤する需要に対し、職⼈たちは各地を⾶び回って各地の状況に合わせながら⼀つ⼀つ⼿作業で⽡屋根を完成させていった。沖縄⾚⽡の不規則な線は職⼈の愚直な⼿仕事から⽣まれたのである。⽯州⽡の描く機械的な直線は⾼級な⽯州⽡の普及に伴った富や秩序の表れであり、沖縄⾚⽡の曲線からは琉球王国が終わりを迎え、⾝分が解放された⼀般⺠衆の⾃由の謳歌や職⼈の真⼼が窺えた。

⽯州⽡と沖縄⾚⽡、それぞれの⽡は単なる建材としての役割を超越し、その地域に⽣きる⼈々の知恵と⾵⼟への愛着の象徴としての価値を有していた。「⾚」と「線」から浮かび上がる⼆つの⽡の違いは、外観だけでなく、それぞれの⽡が歩んできた歴史と地域の⼈々の姿勢の違いであることがわかった。、⼆つの⽡は、場所は違えど今もお、それぞれが持つ意味を発し続け、かつての⼈々の知恵や歴史を、未来へ繋いでいる。


