まちを小さく試すこと─Fukushima Tactical Urbanismと、新しい「ふつう」のつくり方─(アサノコウタ/建築家)
まちの豊かさは、小さな出来事のなかにある
「まちづくり」という言葉には、どこか大きな計画の響きがある。行政の構想、再開発計画や長期的なマスタープラン。もちろん、それらは都市にとって必要なものだ。しかし、私たちが日々まちを感じる瞬間とは、もっと小さな出来事のなかにあるのではないか。
少し腰をかけられる場所があること。誰かと立ち話ができる余白があること。子どもを連れて歩いたときに、ふと立ち止まれる場所があること。目的地に向かうだけではなく、その途中で時間を過ごせる場所があること。
都市の豊かさは、必ずしも大きな施設や派手な開発によってだけ生まれるわけではない。むしろ、日常の中にある小さなふるまいを受け止める空間があるかどうかによって、そのまちの居心地は大きく変わる。
新しい「ふつう」をつくる

「Fukushima Tactical Urbanism」、通称「FuTU」(ふつう)は、そうした小さな都市の変化を、実際につくりながら試すための社会実験団体である。私たちが掲げているのは、「福島市民にとっての豊かさを、新しい『ふつう』として提供する」という考え方だ。まちを恒常的に使う市民を増やし、市民のまちに対する視点を養うこと。それがFuTUの出発点にある。
ここでいう「ふつう」とは、単なる日常という意味ではない。私たちはいつの間にか、まちの使い方に対して「こういうものだ」という前提を持っている。道路は通過するだけの場所、公園は管理された場所、広場はイベントのときだけ使う場所、駐車場は車を停める場所。そうした当たり前を少しだけズラし、「本当はこんな使い方もできるのではないか」と試してみる。その先に、新しい「ふつう」が生まれる可能性がある。
FuTUが考える「公共」もまた、行政が管理する公園や道路というだけのものではない。公共は、市民が主役となって育てていく共有財産であり、創造性を発揮し、愛着を育む空間であるはずだ。公共空間は、自分ではない誰かが整備した空間を市民が享受するだけのものではなく、市民自身が関わることで、少しずつ豊かになっていく場所なのだと思う。
完成形ではなく、まず試すということ
そのためにFuTUがとっている手法が、タクティカル・アーバニズムである。FuTUのメンバーがまず公共空間で小さなアクションを起こし、それをまちづくりにつなげていく。短期的で安価な市民主導の介入を、長期的な都市計画や行政施策への道標として位置づける考え方である。
重要なのは、最初から完成形を目指さないことだ。まずは滞留空間などを小さくつくり、ストリートファニチャーなどを置いてみる。それを人がどう使うのかを観察する。うまくいかなければ修正する。失敗から学び、次をアップデートして再び試す。社会実験とは、都市に対する仮説を現実の空間に立ち上げ、その効果や課題、市民の反応を確かめるための方法でもある。
この「小さく試す」ことを可能にしているのが、デジタルファブリケーションの技術である。私が運営する「Aorless / Fukushima Fabrication Salon」では、ShopBotという高性能CNCルーターを用い、家具、看板、店舗什器、空間装飾などを制作している。CNCルーターは、2D/3Dデータをもとに合板などを精密に切削でき、複雑な形状や大判パネルの加工も可能にする。

デジタルファブリケーションというと、ものづくりの効率化や高精度な加工技術として語られることが多い。しかしFuTUにおいて、それは単に「ものを早くつくる技術」ではない。社会実験の速度を上げる技術であり、まちに対する仮説を実物として立ち上げるための手段である。
図面や会議だけでは、人のふるまいは見えてこない。ベンチを置いたとき、人はどの距離感で座るのか。日陰を選ぶのか、明るい場所を選ぶのか。知らない人同士は同じ空間を共有できるのか。周辺店舗への立ち寄りは増えるのか。そうした問いは、実際に場所をつくり、そこに人が現れて初めて検証できる。
最初の実験としての「まちカドベンチ」
2024年5月、FuTUとして最初に行った社会実験が「まちカドベンチ」だった。福島市の「まちなか広場」の一角に、ベンチとテーブルの機能を複合した什器を設置し、その下には人工芝を敷いた。普段はベンチが撤去されてしまう夜間にもあえて設置し、まちなかに新たな「ふつう」の過ごし方が生まれるかを探った。
そこでは、ジムへ行く途中の休憩、買い物途中の休憩、大学生の昼休み、高校生の学校帰り、読書、飲食、子どもとの散歩、飲み会後の休憩など、多様な使われ方が生まれた小さな都市装置によって、まちなかに潜在していた過ごし方が可視化されたのだ。
そこに座る場所があるだけで、通り過ぎていた人が立ち止まり滞留する。人工芝があることで、子どもの利用や、靴を脱ぐような感覚に近いくつろぎが生まれる。3人以上で向かい合って使える場所があることで、既存のベンチでは受け止めきれなかった関係性が生まれる。
もちろん、初回からすべてがうまくいったわけではない。段取りや設営、使われ方、見え方、安全面など、課題は多かった。私たち自身の経験不足もあり、決して計画通りとは言えない実施になった。
しかし、それでも最初の一歩を踏み出せたことには大きな意味があった。十分とは言えない設えであっても、実践することで市民からリアクションを得ることができる。ポジティブな意見だけではなく、ネガティブな意見も得られる。そのネガティブな意見こそ、次の改善点を見出すための材料になる。小さなアクションを起こし、反応を受け取り、次につなげる。その循環こそが、タクティカル・アーバニズムの実践における重要なプロセスである。

駐車場3台分を、人の居場所に変える
次に行った「Park(ing)-Cafe」プロジェクトでは、まちなかに増え続ける駐車場の3台分を、カフェスペースへと変える社会実験を行った。福島市の中心市街地では、空き地や遊休地の駐車場化が進み、中心部の空洞化が課題となっている。一方で、市民の来訪手段として私有車のニーズがあることも事実である。
そこで、駐車場を否定するのではなく、その一部を一時的に地域に開かれた空間へと変換してみた。3台分の駐車スペースにストリートファニチャーとキッチンカー、コーヒースタンドを設置すると、そこには小さなオープンカフェが生まれた。
ここで見えてきたのは、「車のための空間」と「人のための空間」は必ずしも対立するものではないということだった。福島のような地方都市において、車社会の現実を無視してウォーカブルを語ることはできない。しかし、駐車場のすべてを車だけの場所として固定してしまう必要もない。時間や場所を限定しながら、そこに人が滞在し、飲食し、交流できる余白をつくることはできる。
「Park(ing)-Cafe」は、車社会の現実と人中心の都市の可能性をつなぐ、小さな実験だった。


暫定的な場所に、未来の公共を読む
FuTUの実践は、単発のイベントにとどまらない。福島県建築士事務所協会県北支部青年部が実践していた「シカク広場」プロジェクトに協力した際には、公民連携によって旧市民ギャラリー跡地に生まれたポケットパークに、滞留や交流を生み出す木製ベンチを設計・製作した。広場が完成する前段階から、福島学院大学の学生とともに、どのような過ごし方が求められるか、どのようなファニチャーが必要かを考えるワークショップも行った。


福島市「にぎわい広場」での実践では、福島駅東口再開発区画にできた暫定的なオープンスペースを対象に、将来の広場の使われ方を探る社会実験を行った。再開発が完成する前の空白期間を、ただの空き地としてではなく、未来の公共空間を考えるための実験の場として扱ったのである。
こうした実践を通じて見えてきたのは、公共空間の価値は、完成したあとに初めて評価されるものではないということだ。完成する前の段階から、誰が、どのように使い、どんな過ごし方を望んでいるのかを探ることが重要なのではないか。暫定的な場所だからこそできる実験がある。未完成だからこそ、市民が関わる余白がある。
実物を置いてみることで、行政には判断の材料が生まれ、民間には遊休資産や店舗周辺を活用する可能性が見え、市民には公共空間へ関わるきっかけが生まれる。小さな都市装置は、単なる家具ではない。まちの使い方を変えるためのメディアであり、公共を考えるための仮説であり、行政や民間や市民が対話するための具体物である。

「ちょっとだけ」良くなることを信じる
大きな計画は、完成までに時間がかかる。制度を変えるにも、予算を動かすにも、多くの調整が必要になる。その間にも、まちは日々使われ続けている。だからこそ、まず小さく試すことには意味がある。
小さなベンチを置く。人工芝を敷く。灯りをともす。コーヒーを飲める場所をつくる。たったそれだけのことで、人の流れや滞在の仕方が変わることがある。
もちろん、小さな活動でまちが劇的に変わるわけではない。けれど、そこに座れる場所がひとつ増えること、誰かと話せる時間が少し生まれること、いつも通り過ぎていた場所に立ち止まる理由ができること。その積み重ねによって、まちは確実に「ちょっとだけ」良くなる。私は、その「ちょっとだけ」を信じてみたい。
「福島には何もない」と嘆くのでも、「ないものねだり」をするのでもなく、自らがまちづくりの一員となる。そんなアクティブな市民によってつくられる福島市の未来を、私は願っている。
まちを小さく試すこと。 それは、福島に新しい「ふつう」を少しずつ根付かせていくための、もっとも現実的で、もっとも希望のある方法である。 FuTUはこれからも、その可能性を実践のなかで示していく。


