瓦の建築考

文化と歴史の交差点で ――ベルギー・ブリュッセル紀行――(吉田菜乃/日本女子大学大学院建築デザイン研究科 キャズ・T・ヨネダ研究室修士課程)

吉田菜乃

多文化がつくる都市の表情

私は今、ベルギーのブリュッセルに留学している。街角では、クリスマスツリーが飾られ、イルミネーションの準備が静かに始まっている。家族でキリストの誕生を祝う重要な行事が、街の空気を少しずつ温めていく。

「世界一美しい広場」と名高いグラン・プラスもクリスマスに向けライトアップ(筆者撮影)

ベルギーを留学先に選んだ理由のひとつが、その多文化性だった。オランダ、フランス、ドイツに挟まれ、三つの公用語をもち、異なる文化が折り重なる国。その中心にあるブリュッセルには、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)が本部施設を構え、政治の中枢として世界中から人が集まってくる。市全体の約3割が外国人で、世界ではドバイに次ぐ国際都市とも言われる。

実際に暮らしてみると、その多文化性は数字以上に色濃く街に滲み出ている。スーパーの商品や標識はフランス語とオランダ語で併記され、すれ違う人々から聞こえてくる言葉もさまざま。遠く離れた日本から来た私でさえ、自分が少数派であることを必要以上に意識しないのは、この混ざり合う空気のおかげだと思う。

この特性は、建物の表情にも見ることができる。パリのオスマン様式を思わせるベージュの石造建築が並んでいるかと思えば、オランダのように狭小地を縫うように建てられた細長い建物もある。そしてこの街は、アール・ヌーヴォーが建築として本格的に形を得た場所でもある。歩くたびに「文化の混ざり方」がファサードに刻まれているのを感じる。

狭い敷地を活かしたファサードが縦に伸びる建物。オランダの建伝統住宅と似ていて、一階はカフェに改修されている(筆者撮影)

その様子は、大国に挟まれ統治下にあった歴史の中で、言語や文化を取り入れ均衡を保ってきたベルギーの変遷を表していると言える。そして不思議と、一見違う国のものに思える要素が溶け合い、ひとつの街の中に収まっている。

今回は、私が日々体感しているブリュッセルという都市について語ろうと思う。

歴史と現在の継ぎ目が曖昧な街

ブリュッセルは歴史的建造物の合間に現代建築があり、狭い区画の中で歴史と現代を感じることができる。小規模な街なので、歩みを進めるごとに異なる時代に建てられた建築を見ることができる。

日本では古い建物を保存することが難しい。地震大国であるため、建物は古くなるごとに価値を失うからである。一方で地震のほとんどないブリュッセルでは、外壁の装飾や看板がそのまま残り、建物のファサードが何十年も傷つかずに街を形づくっている。内部だけ用途に合わせて改修し、外観はそのまま残す「ファサード保存」をよく見かけるが、それは“過去と現在の共存”というこの街の思想を象徴しているようだ。

建築学科棟の前の建物。歴史と現代が共存している(筆者撮影)

石畳の路地を歩くと、靴底に伝わる凹凸の感覚に、「何百年も前の人の足跡を辿っているんだ」ということを実感する。建物の高さは均一でなく、時代も異なる建築がそのまま肩を並べている。こうした緩やかな不均質さが、ブリュッセルの街をどこか親密に感じさせるのかもしれない。

新旧どちらかが排除されず、共存することで都市の表情がつくられているのだ。

アール・ヌーヴォー建築に見る日本との関係性

ブリュッセルはアール・ヌーヴォー様式を初めて建築に取り入れた場所。多くのアール・ヌーヴォー建築が現存し、当初は住宅だったものが今では美術館として一般公開されている。

ブリュッセルの歴史建築群の中に一際目立つアール・ヌーヴォー様式住居(筆者撮影)

アール・ヌーヴォーは実は日本との繋がりが深い。産業革命後、大量生産で工業化したヨーロッパでは、そのアンチテーゼとして、デザイン性や職人技に焦点を当てた「アーツ・アンド・クラフツ運動」が盛んに。その中で、日本の浮世絵における平面性や植物の曲線美に影響されたアール・ヌーヴォー様式が誕生した。絵画で有名なものがミュシャの作品だ。屏風絵のような連作、花や植物のモチーフ、平面で線で奥行きを表現するといった特徴を見ることができる。

インターネットもなく、モノや人が飛行機ではなく船で運ばれていた時代に、遠い日本の文化がこの地に影響を与えていたのだ。一般公開されているアール・ヌーヴォー建築のひとつ「ヴァンエートベルデ邸」を訪れると、日本の絵画や工芸品が飾られていた。当時の日本文化への関心が窺える。

家具と建築の装飾が連続したヴァンエートベルデ邸(筆者撮影)

これらの建築を調べるなかで、初めて知ったことがある。アール・ヌーヴォーは植民地という搾取の歴史を表すものだというのだ。建築に使われる象牙や木材はベルギーが統治下に置いていたコンゴから持ち込まれたものであり、華やかなデザインの裏には搾取の歴史が横たわっている。その事実を知ってからは、装飾の美しさを見るだけでは語れない複雑さを感じるようになった。

私がこの地でアール・ヌーヴォーを学びたいと思ったのは、こうした歴史を含めて“手仕事の価値”をもう一度考え直したかったからだ。日本の工芸や職人技は、人口減少や後継者不足の中で急速に失われつつある。しかし本来それらは、時間と技術と精神が凝縮された、ひとつの文化のかたちである。

海を越えた日本の美意識が19世紀のブリュッセルの創造を支えたように、いつか私自身も、日本の工芸や素材の価値を現代の建築に生かす“新しい循環”をつくりたいと考えている。

終わりに

9月に渡航してからまだ2ヶ月半ほどだが、すっかりブリュッセルという都市に魅了されている。また、アール・ヌーヴォーについては今まで研究していた日本との繋がりを再確認し、歴史の影についても知ることができた。

この経験を通して日本の課題に向き合い、歴史と現代、そして文化保存について再考していきたい。

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寄稿者
吉田菜乃
吉田菜乃
日本女子大学大学院 建築デザイン研究科 キャズ・T・ヨネダ研究室修士課程
神奈川県生まれ。日本女子大学大学院建築デザイン研究科に所属し、素材から都市までスケールを横断する建築デザインを探求。日本橋学生工房でのまちづくり活動を通じて伝統工芸と出会い、2025年春には三重と日本橋の工芸品を紹介する企画展「Bridge⇄Mie to Nihonbashi」にて空間構成を担当。「建築×日本のものづくり」の可能性を追求しながら、現在はトビタテ!留学JAPAN17期生として、ベルギー・ブリュッセル自由大学に交換留学中。
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