キュレーター・片桐真理子による「周防貴之トーク:地形としての建築」レポート
2024年3月6日にSHIBAURA HOUSEで開催された、建築家の周防貴之さんのレクチャーを拝聴した。周防さんは妹島和世建築設計事務所・SANAAを経て2015年に自身の事務所SUOを設立。いくつかの展覧会の会場構成のほか、2025年大阪・関西万博のシグネチャーパビリオンを含む公共建築も手がけている。
レクチャーは周防さんの心に残っている建築として、インドの岩の隙間に設けられたヒンズー教の寺院からスタートした。メディアが発達し、その場自体を考えることが相対的に重要になっているのが今の時代であり、「建築がその場自体」になること、言い換えれば「地形として建築をつくる」ことを目指しているそうだ。周防さんの言う「地形として建築をつくる」とはどういうことなのか、作品の解説を聞きながらずっと考えていた。
ひとつめに紹介された『やしまーる』(2022年、香川県高松市屋島)は、通常であれば新築不可の天然記念物の島の山頂に建てられたビジターセンターだ。特殊な状況下でつくるからには、通常の建物の寿命を超えた建築にしないと、その場に居続けることができないと建築家は語る。そこで山という地形をどのように知覚したか、己の体験を手がかりに設計を進め、緩やかな起伏と曲線で構成された躯体と、それによって切り取られる広場という場所を先につくり、使い方を後から考えたそうだ。
また隣接する『れいがん茶屋』は、大正時代の建物をカフェにリノベーションしたプロジェクトで、何度も重ねた建物の増改築の痕跡をそのままに、その土地の掘削土とコンクリートによって新たな地面を挿入し、足元を変えることによって新たな建築へと昇華させている点が興味深い。元々天然記念物の土地なのに、掘削すると土が産業廃棄物になってしまうという矛盾への、周防さんからの鮮やかな解答でもある。
話は飛ぶが、このレクチャーに参加した直後にギリシャ旅行に出かけた。そしてアテネ、デルフィ、メテオラ、ナクソス島と各地を歩くなかで、建築と風景、食と地質が分かち難くつながっていることを実感することとなった。乾いた岩がちで痩せた国土で育つのは、オリーブやアカシアなど乾燥に強い木か低木ばかりで、穀物は育ちにくく、食べ物は非常にシンプル。日本では漁師が山に植樹をするように海と山が直結していることはよく知られているが、木があまり育たず山から流れ出る栄養が少ないエーゲ海はエメラルド色に輝いていた。山から切り出した石は白く(または黄土色の)美しい街並みとなり、数千年の時間の流れに抗しながら、なだらかな丘に沿って広がっている。ギリシャ人はずっとこうした風景を眺めていたのだろうと、古代から連綿とつづく時間に自然と思いを馳せる。
ここでふと、地形こそが、我々の暮らしを支えながら、人間に特定のふるまいを強要せず、長い時間の経過に耐える存在そのものなのではないかという考えが頭に浮かんできた。回廊に沿って歩くことで海の方向を向いたり留まったり、来場者の視界や行動を緩やかに規定する『やしまーる』の躯体そのものよりも、使い方を規定しすぎない敷地中央に残された広場だとか、内部を自由に歩き回れる『れいがん茶屋』のマウンドのほうに、むしろ周防さんの言う「地形としての建築」の可能性と魅力があるのではないか。何もない本当の原っぱでもなく、LDKのように計画されたプランでもなく、地形的な建築こそが、その場をより自由に使いこなす想像力を我々に与え、この先100年、200年とその場にあり続けることができるのではないか。日本に帰ってきてそんなことを考えながら、もう一度周防さんの言葉を噛み締めている。
そしてもうひとつ、本イベントを主催するヒトツチというメディアが掲げる「建築の素材と地域文化との結びつきを探求する」ことの面白さというのは、ギリシャのように数千年と言えば大袈裟になるが、建築を出発点に、食や風景、そして人間の暮らしそのものを考えていくことと換言できるように思い、これからの展開がますます楽しみになってくるのであった。