瓦の建築考

焼き物を科学する⑤:粘土と文化の違いから生まれる名産品(市川しょうこ/化学者)

市川しょうこ

1.焼き物の名産地である愛知県

全4回で終了予定だった「焼き物を科学する」シリーズですが、ありがたいことにリクエストをいただき、連載を継続する運びとなりました。感想をお寄せくださった皆様、本当にありがとうございます。ページ下部の私のインスタグラムから、感想やリクエストなどいただけましたら、全て読んでお返事いたします。読者の皆様のコメントを反映させながら記事作りを進めていきたいと思っているため、お待ちしております。

連載5回目は、私の地元である愛知県の焼き物にフォーカスします。ただの地元びいきというわけではありません。愛知県は焼き物の出荷高が全国1位を誇る、まさに焼き物の名産地なのです。焼き物のことを「せともの」という方もいるでしょうが、「せともの」の語源になっている瀬戸焼は、愛知県を代表する名産品です。

愛知県の焼き物について深掘りする前に、まずはどうして地域ごとに異なる焼き物文化があるのかを紐解いていきましょう。

2.地域ごとに異なる焼き物文化

どうして地域ごとに異なる焼き物文化が生まれたか、その答えを一言でまとめると、「焼き物が日常生活に密着したものだから」です。

人間の三大欲求の中に食欲があったり、「食べることは生きること」と言われたりするほど、食文化と人間の日常生活は密接に関わっています。飲食器をはじめとする焼き物は、日常生活と切っても切れない生活必需品として、より便利さや美しさが求められ、発展していきました。

また、焼き物の用途は生活必需品にとどまりません。住環境の変化に伴い、洗面器、浴槽といった衛生用品、建築用材料(タイルなど)、電気・理化学用の陶磁器、さらには工業用部品にまで応用されるなど、汎用性の高い技術として現代でも進化し続けています。

一方で、焼き物は実用品としてだけではなく、美術や工芸品としても大きな価値を持っています。歴史的には茶道や華道の器として注目され、伝統工芸品として日本文化を象徴するひとつとなっています。

3.日本六古窯(にほんろっこよう)

日本六古窯は、中世から現在まで生産が続く陶磁器窯を代表する6つの窯(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称です。1948年頃、古陶磁研究家・小山冨士夫氏によって命名され、2017年春、日本遺産に認定されました。日本六古窯は全ての窯が千年以上の歴史を有し、各産地にて技術と文化が育まれてきました。

現在の県に変換すると、越前焼が福井県、瀬戸焼が愛知県、常滑焼が愛知県、信楽焼が滋賀県、丹波焼が兵庫県、備前焼が岡山県となります。

わが国陶磁器工業の地域構成、1979年

6つの産地のうち2つが愛知県にあることにお気づきでしょうか。1977年の文献に記載された焼き物の生産量を見ると、愛知県の生産量を示す黒丸がひじょうに大きいことが分かります。愛知県が焼き物の名産地であることはさることながら、同じ愛知県にして異なる焼き物文化が育っていることも興味深いです。

さらに愛知県には、日本の瓦生産量の40%を占める三州瓦の産地もあります。このように、愛知県内だけでも多様な焼き物文化が根付いているのです。

では、なぜ同じ県内で異なる文化が育ったのでしょうか? その背景を紐解くため、ここからは愛知県の焼き物に焦点を当てていきましょう。

4.焼き物の総称にもなった瀬戸焼

瀬戸地方は粘性・耐火性に優れた良質の粘土が多くとれることから、焼き物の産地としてたいへん恵まれてきました。地層は「更新統瀬戸層群」と呼ばれ、木節粘土と蛙目粘土が豊富に取れます。

木節粘土は、植物化石を豊富に含む暗褐色から灰色の粘土で、焼成すると発色します。蛙目粘土は粗い石英粒子を多量に含む粘土であり、酸化鉄(III)が1%以下と少なく、焼成すると真っ白に焼きあがります。同じ地層から2種類の粘土が産出し、異なる色の焼き物ができあがるのです。

引用記載:瀬戸焼振興協会
https://www.setoyakishinkokyokai.jp/pages/traditional

また瀬戸では粘土だけでなく、絵付の顔料となる金属酸化物にも恵まれました。茶褐色に発色する褐鉄鉱の一種や、青色に発色する呉須(ごす)が使われ、これらを用いた焼き物は「瀬戸染付焼」と呼ばれています。

さらに、顔料を巧みに調合し、特有の色合いを持つ釉薬がつくられ、その色合いは黄瀬戸や瀬戸黒とも呼ばれました。

瀬戸焼の歴史は、平安時代の中期(11世紀初頭)にまでさかのぼります。当時は地下式の穴窯で茶碗、瓶、壼が生産されていました。室町時代の末期から単室地上式の大窯が、江戸時代に入り連房式登窯が採用され、日用品として陶器の器が量産されるようになりました。そして江戸時代後期、加藤民吉氏による染付焼の技術導入により、磁器の生産も始まりました。

このように一口に瀬戸焼と言っても、陶器から磁器、絵付けをした装飾品まで、多種多様な焼き物が作られました。だからこそ「せともの」が焼き物の代名詞として根づいてきたのかもしれません。

5.地形にも恵まれた常滑焼

現在の常滑市周辺で焼かれてきた焼き物は「常滑焼」と呼ばれます。常滑焼は、知多半島に分布する常滑層群の粘土を原料としており、瀬戸焼で使用される瀬戸層群の粘土とは組成が異なります。この地域の粘土は可塑性(力を加えたときの変形しやすさ)に優れ、成形が容易です。また、酸化鉄を約5%含むため、比較的低い温度で焼き締まり、大型製品の生産に適しています。

さらに、坂が多い地形を活かし、丘陵地には登り窯が発達しました。登り窯は余熱を効率的に利用できるため、大量生産が可能となります。この地形と粘土の特性を活かして、壺や大甕といった大型製品が多く焼かれるようになりました。

常滑焼の歴史もひじょうに古く、平安時代末期(1100年頃)にまで遡ります。当時から壺や甕が作られ、室町時代には地上式の大窯で赤黒い色合いの生活用陶器が生産されていました。近世になると、壺や甕に加えて茶陶や急須も生産され、製品の種類が多様化しました。江戸時代には連房式登窯が導入され、明治初年には陶管が製造されるなど、さらなる発展を遂げます。また、赤みが特徴的な「朱泥焼」の急須もこの時期に作られ、現代も盛んに生産されています。

一方で、時代の移り変わりとともに、土管や植木鉢といった伝統的な製品の需要は減少しました。現在ではタイルや衛生陶器といった新しい用途にその技術が応用されています。

6.特徴的な工程の三州瓦

高浜市や碧南市を中心とする西三河地方の碧海地区で生産される瓦は「三州瓦」と呼ばれ、全国で生産される瓦約40%を占めています。その中心にある高浜市では、周辺地域から良質な三河粘土が取れました。三河粘土の約3%は酸化鉄(III)から成り、これを用いて「いぶし瓦」と「陶器瓦」の2種類の瓦が生産されています。

いぶし瓦は「黒瓦」や「銀色瓦」とも呼ばれています。いぶし瓦を製造する際は、成形・乾燥した瓦を焼成する最終工程で松割木や松葉を加え、900~1,000℃で燻します。この工程によって、炭素の薄い皮膜が表面に形成され、独特の黒や銀色の輝きを持つ瓦が生まれます。

陶器瓦には塩焼瓦と釉薬瓦があります。塩焼瓦の仕上げに使うのは、名前の通り「塩」です。焼成の最終段階(約1,100℃)で、焚口から食塩を投入し蒸発させ、ナトリウムを粘土中の成分と反応させて、瓦の表面に赤褐色のガラス状の被膜をつくります。釉薬瓦は、乾燥させた瓦の表面に釉薬を塗り焼成することで、青、緑、茶色など多彩な色合いを持つ瓦が生産されます。

三州瓦の起源についてははっきりしていませんが、宝暦4年(1754年)頃には生産が始まったとされています。明治・大正時代には一般家庭で瓦の需要が増え、それに伴い生産も拡大しました。現代では設備の近代化やトンネル窯の導入により、大量生産が可能となり、平瓦だけでなく、いぶし瓦の技術を活かした鬼瓦の製造も盛んに行われています。

7.愛知県内で生まれる多種多様な焼き物

今回は愛知県の焼き物にフォーカスし、瀬戸焼、常滑焼、三州瓦の特徴を紹介しました。

瀬戸焼は、粘土も顔料も釉薬も豊富であったことからさまざまなバリエーションが生まれ、焼き物の代名詞となりました。常滑焼は瀬戸焼よりも知名度は下がるかもしれませんが、同等に長い歴史を持ち、異なる粘土、異なる焼窯により大型の製品を生産できるようになりました。また、三州瓦は日本三大瓦の一つであり、塩を仕上げに使うなど、海が近い愛知県ならではの技法が育ちました。

同じ県内でここまで異なる焼き物文化が育まれている県は、他にないのではないでしょうか。愛知県に遊びに来た際には、県内遠方に足を延ばして、窯元巡りをしてみるのも面白いかもしれません。

<参考文献>

上野 和彦, わが国陶磁器工業の地域構成, 新地理, 1979年

六古窯日本遺産活用協議会, https://sixancientkilns.jp/

杉浦 秀昭, やきもののふるさと尾張・三河を訪ねて, 化学と教育,1996年

中山勝博, 瀬戸層群と常滑層群の火山灰層, 地質学雑誌, 1989年

寄稿者
市川しょうこ
市川しょうこ
化学者
1992年愛知県出身。神戸大学工学研究科応用化学専攻修士。化学メーカーの化粧品・医療品の研究開発を経て、現在はヘルスケア系スタートアップ企業の取締役として分子認識化学を研究している。フィンランドの教科書を活用した認定NPO法人主催イベントでの小学生向けかがく実験教室や、文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業の支援を受けた科学×アートを融合したインスタレーション展示などを行い、人の創造性を探求するために活動している。
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