瓦の建築考

無色の風景から彩をもたらす三州瓦の二面性(須田智也/慶應義塾大学細谷浩美研究室)

須田智也

三州瓦は、日本三大瓦の石州瓦、淡路瓦と違い特異な瓦だと認識している。現在の日本各地の都市の風景を見渡したとき、三州瓦だけが固有の景観として可視化されていないからだ。赤褐色の屋根が並ぶ石州瓦の風景や、燻銀の淡路瓦の風景、それらは長い歴史を通して地域に根付いてきたが、なぜ、三州瓦にはそのような象徴的風景が存在しないのだろうか。

それは、シェアの高さとバリエーションの数が理由であると考える。愛知県の西三河地域で製造されている三州瓦は、地域で得られる粘土質の材料と水運による流通の利便性から江戸時代からの歴史を持ち、現在では日本の粘土瓦の生産量の約7割を占めている。地元の職人や企業の競争、協力によって時代ごとの建築様式に柔軟に対応した結果、その種類は1,000以上にものぼる。瓦ブランドとしてはそのアイデンティティを確立したように見えるが、それが都市風景として現れていない点に注目したい。屋根瓦として多機能で多くのニーズに応えようとした結果、日本各地の何気ない住宅街にある瓦の町並みこそが、三州瓦が作り出した風景と捉えられるだろう。それは石州瓦や淡路瓦が作り出すものとは違う、「無色」な風景だと言える。

しかし、屋根瓦という用途以外に目を向けたとき、地域の風景として現れる三州瓦の存在がある。それは鬼瓦だ。鬼師と呼ばれる技術者が成形し、厄除け、魔除けの象徴として、装飾に用いられてきた。三州瓦の産地の一つである愛知県高浜市には、日本で唯一の瓦の専門美術館「かわら美術館・図書館」と、二つの名鉄の駅を結んだ「鬼みち」と呼ばれるウォーキングルートが存在する。鬼みちでは、寺社や民家の屋根、オブジェなどに鬼瓦を見ることができ、街を歩く中で職人の伝統や技術に触れることができる。そして、毎年秋には「鬼みちまつり」が開催され、地域は活気に包まれる。高度にシステム化された工業的側面と、熟練の技術者の伝統芸。三州瓦は相反するような二つの顔を持っている。

しかし、この鬼みちが鬼瓦という一方の顔だけで完結してしまっていることは、三州瓦のポテンシャルを活かしきれていないのではないだろうか。もちろん、約300年の間、技術が継承され現在まで形が残っている鬼瓦は三州瓦を代表するものだ。一方で、同じ300年の間、時代の変化に対応しながら、No.1のシェアを誇るようになった工業製品としての三州瓦も都市の風景として溶け込むことができれば、この瓦の魅力を新しい形で引き出すことができると考える。300年成長を続けてきた地域ブランドの三州瓦が出荷前に綺麗に並べられている姿には、日本一のプライドが現れている。

とはいえ、三州瓦の屋根を都市の風景と印象づけるのは、そう簡単なことではない。昨今の日本の再開発の流れにおいて都市に立ち並ぶ高層ビルの屋根に瓦が使われることは無く、少子高齢化による働き手の縮小からも瓦産業は厳しい状況に立たされるだろう。量から質に転換する時代を迎えているが、三州瓦には、300年の歴史の中で、時代を生き残る術が培われている。時代の要求に対応し、日本の日常の風景にまでなった屋根瓦という工業製品としての柔軟性と、地元で絶えることなく継承されてきた鬼瓦という文化としての精神性。この相反する二面性が混じり合うことで、瓦は未来の都市で新たな風景を形成するはずだ。

寄稿者
須田智也
須田智也
慶應義塾大学 細谷浩美研究室
2003年滋賀県大津市生まれ。2025年に慶應義塾大学総合政策学部卒業。2026年現在、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科在籍。 小学生の頃に琵琶湖でヨット競技を始め、高校、大学では部活動で競技に取り組んだ。修士論文では水辺と都市の関係を対象に研究を行っている。
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