瓦の建築考

真紅に染まる屋根瓦:ドゥブロブニクに隠れた住民の営み(井口雄貴/慶應義塾大学理工学部佐野研究室学士課程)

井口雄貴

「アドリア海の真珠」と呼ばれているのは、クロアチアにあるドゥブロブニクという都市である。人々を魅了する美しさと同時に、1991年から1995年までユーゴスラビア紛争によって戦火に包まれた残酷な背景を持つ都市である。

光り輝く都市

スルジ山に登ると、光り輝くドゥブロブニクの街並みを一望することができる。アドリア海に臨む建物の瓦屋根一つ一つが灯台のように明るい輝きを放っていた。私はその美しさに魅了されながら城壁に足を踏み入れた。

城壁に守られる路地

城壁をくぐると、まるで街全体が息をしているような気配を感じた。開いた窓からは人々の笑い声が聞こえる。街角に座り込んだ猫は、日陰の揺らぎを優雅に眺めている。

そんな街の様子を見ながら歩いていると路地に迷い込んでしまった。そこでは色とりどりの物干しがされ、大小さまざまな植栽が建築と絡み合っていた。少女はバナナを片手に微笑み、老婆は花を愛でていた。なんと平和で穏やかな日常なのだろう。路地の緩やかな傾斜によって空間を構成する多様な要素が目に映り、その視覚的な楽しさに浸るかのように人々はゆっくり歩いている。ゆっくり歩くことで植栽や建築から生まれる陰影や風向きの変化をより鮮明に感じとることができる。

隠れた住民の営み

観光客の多い街の中心部と異なり、路地空間は多くの表情を見せてくれる。街の反対側に進み城壁に近づくと急傾斜が現れた。階段を進むごとに空間は狭まり、植栽や生活の溢れ出しが挨拶をするかのように近づいてくる。それまで*隠れていた住民の営み*が見えてくるのである。城壁に近づくほど、人々の生活や文化を感じることができる。路地の階段を登りきり振り返ると、建物に挟まれた空間の先に、濃い橙色の瓦屋根が空と対をなすように広がっていた。

人々の生活に注目しようと移り変わっていた視点が瓦屋根によって一つにまとまり、建築と空の関係に意識が向く。空の色が灰色に変化すると、先ほどまで眩しいほど輝いていた瓦は落ち着きを得て暗い橙色に表情を変えた。

光の反射が収まると、瓦は単色ではなくなった。伝統的なヨーロッパ建築で使われるバレル瓦の混ぜ葺きである。屋根の多様な色によって、壁と屋根の境界が曖昧になる。さらに傾斜のある街と点在する植物が組み合わさることによって、屋根は*視覚的な連続性*を得る。その連続性は、マクロな視点として街の様子を映し出している。また同時にミクロな視点から、路地空間という隠れた住民の営みを顕にするものでもあった。*建築的なレイヤーと文化的なレイヤーが重なることで、*街の風景がより高い解像度で私の目に飛び込んできた。

表情を変える瓦屋根

空模様が変わると、先ほどまで沢山いた猫たちが姿を消し、洗濯物が取り込まれて窓が閉まり始めた。私は雨が降る前に城壁を登った。そこでは路地の階段から覗いた瓦屋根の全貌を望むことができた。

美しく広がる街を眺めていると、鉛色の空から雨が降り始めた。雨に濡れまいと、入り組んだ城壁で人々は歩みを早める。私も急いで逃げ場を探すが、城壁にそんな場所はなかった。足元には多くの凹みがあり、一帯が脆くなったのではないかと感じた。大急ぎで城壁を一周しかけたところで、水滴が髪に落ちるリズムが遅くなった。足元に集中していた視点を上げると街は血のような真紅一色に染まっていた。

雨に濡れた瓦の一つ一つが光を絶妙に反射させ、より美しい赤色を見せていた。同時に、濡れた瓦と鉛色の空はドゥブロブニクでの悲惨な歴史を思い出させるほどに悲しさを感じさせた。

建築的なレイヤーと文化的なレイヤーが重なる瓦の風景は、ドゥブロブニクの持つ美しさも悲しさも感じさせるものだった。

寄稿者
井口雄貴
井口雄貴
慶應義塾大学理工学部佐野研究室学士課程
慶應義塾大学理工学部佐野研究室学士課程在籍。 趣味でラグビーやってます!
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