Favela Vidigal(御手洗 龍/建築家)

2015年に大学の仕事でブラジルを訪れたことがある。直前にプロポーザルの最終プレゼンテーションが入り、急遽出国を遅らせたものの敢え無く敗れ、肩を落としながらブラジルへ向かったことが今も思い出される。ブラジルは日本から向かうと地球の裏側で直行便は無く、アメリカのアトランタ空港を経由して26時間ほどかかっただろうか。今まで多くの国を巡る旅をしてきたが、南米大陸に行くのは初めてのことで、長時間かけて向かいながらガイドブックを眺めていると、強い日差しとその陽気な雰囲気の写真につられて徐々に心が躍り始めていた。

漸くリオデジャネイロのアントニオ・カルロス・ジョビン空港に到着し、眩しい陽の光の中を搔い潜るように、その足でFavela Vidigalへと向かった。この旅最大の目的地の一つである。Favela(ファヴェーラ)とは不法居住者の小屋が立ち並ぶスラム街のことを意味し、リオデジャネイロの中だけで400以上のファヴェーラが存在すると言われている。リオに住む4人に1人がファヴェーラで暮らしていると言えば規模だけでなくその問題の大きさも想像できるだろうか。その中でもこのFavela Vidigalはかなり独特な様相を呈している。リオデジャネイロに訪れてまず驚いたのが、岩山が異常に隆起してできたその地形で、Vidigalはその崖にへばり付くようにして広がっているのである。坂の下から見上げると、まるで粘菌か苔のように家々がびっしりと地形を埋め尽くしており、コンクリートという同じ材料で建ちあがっていることもあって、家と家の切れ目がよく分からない。さらに土地の所有権というものも無いので、誰かが住まなくなると取り壊されてすぐにまた新しい家が建て始められる。絶えず動き続けながら隙間という隙間が全て埋め尽くされていくような感覚だ。スラムがまるで一つの大きな生き物のように見えてくるのである。

恐る恐る、けれどワクワクしながら急な坂を上りファヴェーラへ一歩一歩足を踏み入れていく。迫りくる家々は、今まで見たことのない異様な光景と活気に満ち溢れ、ここで人間が生きていくんだというエネルギーを感じ、肌がピリピリと反応しているのに驚いた。スラム街というイメージとは異なり、そこに厳しい貧しさはあまり感じられない。幅4mほどの道は舗装され、大きなエンジン音を立てて走るバイクが行き交っており、壁や塀には色鮮やかなアートが描かれている。現地の人に聞くと、後ろに人を乗せて走るバイクは街の人が運営する乗り合いタクシーで、急な坂を上るための自治交通なのだそうだ。またマフィアの巣窟で銃声が鳴り響いていたこのファヴェーラを、明るく彩ることで治安を良くしていこうと、アートが沢山描かれていったということだった。坂の途中には様々な店が並び、賑わいを生んでいる。一つ驚いたのは街角に本屋のような小さな図書館があったことだ。表まで本が並べられ、貧しく学校に通うことのできない子どもたちのために住人が本を集め、本を貸し出している。ただこれも公共サービスとしての図書館ではなく、ここに住まう個人が運営する自営の図書館なのである。そして雑貨の売られたカフェバーに入ると、壁はカラフルに塗られ、絵が描かれ、センス良く椅子やレコードが飾られている。何ともかっこいいではないか。




さらに坂を上っていくと、高密に建て込んでいると思っていた街の至る所に、ポケットパークのような小さな溜り場が外にいくつもあることに気付かされる。フットサルを楽しんでいる子どもたちもいれば、椅子やテーブルを並べて、チェスをしているおじいさんたちもいたりもする。またそれらはどこも美しい海を臨む気持ちの良い場所で、そういった環境を身体で感じ取りながら、外部の共有スペースが自然と生まれていることに驚かされた。資本や所有という欲望とは違う、快楽や快適さに繋がる欲望が豊かな均衡を保っているように見えた。
そして山の上の方まで上っていくと青い海へと続く屋根の上には青い給水タンクが載り、サッカー中継を見るためのパラボラアンテナが取りつけられ、電線が引かれている。家の中に入らせてもらうと、壁が淡い緑ややわらかな黄色で塗られ、どこかで手に入れた宝物であろうお土産がきれいに飾られている。そして夕暮れ時になると家々に明かりが灯り、美しい夜景の中から、潮騒混じりのボサノヴァのギターの音色がどこの家のテラスからか聴こえてくる。なんともロマンティックで優雅な一日の終わりだろうか。しかしこの美しい夜景の灯りは全て町中から大量の電線が引かれ、盗電されているのである。





東京という都会で暮らしていると、部屋のスイッチを押せばすぐに明かりが灯り、数分単位で電車が到着し、スマートフォン一つで食事が届く。何不自由なく便利に暮らしているように思う一方で、このFavela Vidigalに暮らす彼らの方がどこか人間的で、豊かに生きているのではないかと感じる瞬間があった。

ブラジルでは他にもいくつかのファヴェーラを現地の方と一緒に回らせてもらった。カメラやスマートフォンを出すと即座に銃で打たれてしまいそうな恐怖を感じる危険なファヴェーラから、より荒んで貧しく見えるファヴェーラまで色々と視察したが、その中でもこのVidigalは特別だったように思う。目の前には青く澄んだ美しい海が広がり、遠くに続く水平線は地球が丸いことを教えてくれる。海からは湿度の取れた心地よい風が上がって来るし、陽の光は甘く暖かい。この土地の心地よさを感じずには、そして探さずにはいられないのである。この土地では人々が能動的に生きているように感じる。それは、この巨大な岩山が隆起した地形が、人間の身体感覚を励起状態へと高く引き上げていることに依るのかもしれない。
「豊かさって何だろう?」
建築を通してそれをじっくりと考えてみたいと思った大切な旅となった。