「境界に住まう」─「福島の自邸」から考える、陶という素材と内外をつなぐ壁─(アサノコウタ/建築家)
福島に自邸を建てるということ
福島に自邸を建てるという行為は、私にとって単に住まいを得ることではなかった。敷地は福島県福島市、東日本大震災の半年後に火災に遭い、更地となった実家の土地である。その場所には、震災後の地震被害や放射能汚染の問題、さらに祖母の他界といった、否応なく突き付けられたいくつもの現実が重なっていた。そうしたネガティブなコンテクストを抱えた土地に、建築家として何を立ち上げるのか。福島という土地の未来、自分自身の将来、そして家族の生活のあり方に対して、少しでも開かれた建築は可能なのか。その問いから、この住宅の構想は始まっている。

この自邸は、スケールの異なる9つのキューブの組み合わせによって成り立っている。外から見れば、それぞれのボリュームは独立しながら、わずかに角度を振って噛み合い、ひとつのまとまりをつくっている。正面では二つのキューブの隙間がエントランスとなり、北東側には母が営む音楽教室の大きな開口が街に向かって開く。そこからはレッスン中の気配がふと垣間見え、住宅の内部は閉じた私的領域としてではなく、周辺の環境ににじみ出す風景として現れる。9つのキューブは、単純な箱の集合ではない。それぞれが独立した箱である以前に、内外の関係を編み直すための空間の単位として配置されている。

内部でも、その考え方は一貫している。もっとも大きなリビングのキューブは約4m四方、天井高は約6.8メートルに達し、その内部にキッチンや2階居室のキューブが差し込まれている。音楽室の上には別の居室が重なり、1階居室からはリビング越しに他の空間の気配が感じられる。各室は廊下によって順番に並べられているのではなく、異なる高さと大きさの空間が相互に浸食し合いながら、生活のシークエンスをつくっている。その結果、この住宅では、ひとつの部屋にいるときにも別の場所の存在が感じられる。空間は閉じず、視線と気配によって緩やかにつながっている。

「建築以下」が噛み合って住まいになる
しかしここで重要なのは、9つのキューブは単なる住宅内部を構成する部屋ではなく、それぞれが固有のプログラムをもった小さな建築:「建築以下」として完結した単位であることだ。音楽室、リビング、キッチン、居室、浴室などの機能を持つキューブは、ひとつの大きな建築の内部に従属する要素として置かれているのではなく、それぞれがひとつの小さな建築として自立している。重要なのは、それらがばらばらに孤立しているのではなく、互いに噛み合い、接続し、関係を結ぶことで、はじめて住まいとしての全体を形成していく点にある。ここで立ち上がるのは、機能の総和としての[house](家)ではなく、複数の建築以下の関係性から生まれる[home](家庭)である。
「建築以下」とは、一般に「建築」として認識されるよりも小さな領域を対象とする概念である。それは、ひとつの建築に従属する単なる部分ではなく、それ自体が固有のプログラムと空間性をもつ自立的な単位として捉えられる。そうした小さな単位どうしが接続し、関係を結ぶことで、ひとつの建築や住まいが生成されていく。本論考では、そのような人の手によって立ち上げうるスケールの空間と思考の領域を、「建築以下」と呼ぶ。

そのために、各キューブはあえて外壁によって覆われている。外壁は建築全体を包む外皮であるだけでなく、それぞれのキューブが独立した存在として佇んでいることを示す面として働いている。だからこの住宅では、内と外の境界は一度だけ引かれるのではない。建築全体の外周にあるだけでなく、内部にも反復される。外壁は建築を閉じるための最終的な輪郭ではなく、建築の内部にまで入り込み、キューブとキューブのあいだに距離を残す。その距離があるからこそ、各キューブは完全には同化せず、それぞれの完結性を保ったまま関係を結ぶことができる。住まいは、その関係のなかで生まれるのである。
躯体に住まう、ひらかれた[home]
この住宅で目指したのは、完成されたインテリアを整えることではなく、更新され続けることのできる「躯体」を立ち上げることでもあった。内部では木造在来工法の軸組を現しとし、仕上げ材は極力抑えられている。自邸だからこそ、自分が今後も手を加え、住みながら更新し続けられる状態だけを躯体として出現させ、その「躯体に住まう」ことが目指されていた。将来的には、隣地にある自身のアパートメントと関係づけながら、分棟のキューブを増築し、機能をシェアすることも想定されている。バスルームやトイレが外部からもアプローチしやすい位置に置かれていることや、母が営む音楽教室に地域の子どもたちが訪れることも含め、この住宅は閉じた家ではなく、周辺に開かれた環境の核として構想されている。つまり[home]は、住宅の内部だけで閉じるものではなく、敷地や周辺との関係のなかでも育っていくものだ。

陶という素材が境界をつなぎ直す
こうして「福島の自邸」の構成、コンセプトを振り返ると、ここで問われていたのは、単に空間の構成や住まい方ではなく、建築以下のキューブをどのような素材が包み、どのように関係づけるのかという問題だったように思う。各キューブを独立した存在として立たせつつ、その関係性から[home]を形成するためには、壁は単なる外皮でも内装でもなく、キューブの自律性と関係性を同時に担わなければならない。しかもこの住宅では、その壁は建築の外周だけでなく内部にも現れる。つまり求められていたのは、外壁と内壁を分けて考える仕上げではなく、内外の両方にまたがりながら、一貫した強度と質感を保つことのできる素材だった。
「福島の自邸」では、フレキシブルボードの下見板張りを採用したが、この条件を考えるとき、瓦に代表される「陶」という素材はきわめて示唆的である。陶はもともと外部にさらされる素材でありながら、同時に手触りや陰影、焼成による個体差といった、内装にも耐えうる繊細な質を備えている。雨や風、日射を受け止める外的な強さをもちながら、空間の内部では光の変化や距離の違いに応答し、表情の深さを生み出す。その意味で陶は、内と外のいずれか一方に属する素材ではなく、両者をまたぎながら境界に厚みを与える素材として捉えることができる。
こうした素材としての可能性に目を向けると、鶴弥の陶板壁材「スーパートライWall」は興味深い。鶴弥はこの製品を、瓦づくりで培った技術と焼き物の魅力を生かして生まれた新しい壁材と位置づけており、瓦と同じ自然素材の粘土を1130℃の窯で焼き締めた、陶器の強さと美しさをもつ壁材だとしている。また、1,810mm×303mmの大判サイズで、屋内外を問わず使用できることも特徴として掲げている。つまりこれは、瓦をそのまま壁に転用したものではなく、瓦の技術を壁のスケールと用途に移し替えることで、「陶」という素材を境界面として再定義したものだといえる。


この点で、「福島の自邸」と鶴弥の陶板壁材は、単に外壁材の話としてではなく、建築の成立条件をめぐる問題としてつながっている。各キューブが建築以下の単位であるなら、それらを包む壁は、完成した建築の輪郭ではなく、キューブを自立させながら相互の関係を支える面でなければならない。外装にも内装にも展開し得る陶板壁材は、そのような壁のあり方を考えるうえで示唆的である。
私にとって自邸とは、私的な所有物ではなく、更新の起点である。住みながら手を加え、家族や地域との関係の変化に応じて姿を変え、敷地全体のなかで別の棟や機能と結びついていく。そのような建築のあり方を考えるとき、素材もまた固定された用途にとどまる必要はない。陶という素材が屋根や外装の領域を超えて壁として内外に展開していくことは、境界のあり方そのものを更新する試みでもある。そのとき壁は、境界線ではなく、関係のための面となる。今後は、自邸で試みたような、内外の境界が反復し、多層化した空間構成において、陶板壁材を用いてみたい。





