素材の前にある「移動」 ― 海上交通網と三州瓦の広がり(カーク里亜武/慶應義塾大学細谷浩美研究室)
三州瓦は、その素材としての特徴や長い歴史によって語られることが多い。しかし、それだけではなぜ三州瓦がここまで広く普及したのかを十分に説明することはできないだろう。瓦そのものだけでなく、瓦と海上交通との関係性に目を向けることが重要である。西三河地域は単なる生産地ではなく、日本各地を結ぶ沿岸ネットワークの一部として存在していた。そのため、三州瓦の広がりは、地域内部の生産力だけではなく、既存の流通や移動のシステムの中に位置していたことによって可能になったと考えられる。
このことを理解するためには、海上交通網の成り立ちを考える必要がある。三河湾に面する西三河地域は、米や木材、陶器などの日常的な物資を輸送する沿岸航路と結びついていた。近世以前の日本において、海運は陸運よりもはるかに効率的であり、特に重量のある物資の輸送に適していた。そのため、沿岸航路は大規模流通の主要な手段として自然に発達していった。このことから、西三河は瓦産業が発展する以前から、すでに広域的な物流ネットワークの中の一つの拠点として機能していたと考えられる。つまり、この地域は最初から瓦だけに特化した産業都市ではなく、より大きな流通システムの一部であった。

この視点に立つと、三州瓦の広がりの見え方も変わってくる。瓦産業は新しい流通システムを作り出したというよりも、すでに存在していた海上交通網を利用し、拡張していったように見える。瓦の生産量が増加すると、主要都市へ効率的に輸送するべく、大量流通が可能となった。この点は、なぜ江戸時代に三州瓦が大きく広まったのかを考える上でも重要である。瓦自体はそれ以前の時代から存在していたにもかかわらず、広範囲に普及したのは江戸時代になってからであった。私はその理由を、単純な技術発展ではなく、大規模な流通を支える条件が整ったことにあると考える。
江戸時代には、江戸のような都市が急速に人口を増やし、耐久性や耐火性を持つ建材への需要が高まっていった。しかし、需要だけでは三州瓦の拡大は説明できない。本当に重要だったのは、その需要に対して既存の輸送ネットワークを利用しながら応えることができた点にある。沿岸航路による海運は、重量のある瓦を陸運よりもはるかに効率的に運ぶことを可能にした。つまり、三州瓦の普及は「必要とされたから」だけではなく、「大量に運ぶことができたから」こそ実現したのである。
このように考えると、西三河は単なる生産地ではなく、資源・産業・流通を結びつける大きなシステムの中に位置した地域として理解することができる。瓦産業は海上交通網を作り出したわけではないが、既存の沿岸流通システムに依存し、それをさらに発展させていった。この視点は、瓦という素材そのものよりも、「素材がどのように移動したのか」という点に注目するものであり、インフラや地理条件が産業形成に与える影響の大きさを示している。

三州瓦の広がりを、海上交通網と都市需要が特定の歴史的タイミングで結びついた結果として捉えること。この全体感を踏まえると、三州瓦は単なる地域産品として徐々に発展したのではなく、生産と流通の関係性の中から成立した素材だったのではないだろうかという視点が浮かび上がる。つまり、その成功は瓦そのものの性能だけでなく、「どこで生産され、どのように運ばれたのか」という条件によって支えられていたのである。

