瓦の建築考

窯跡から追いかける三州瓦の発展(神谷然音/慶應義塾大学 細谷浩美研究室)

神谷然音

窯跡から追いかける三州瓦の発展

私は、史跡を見て、かつてそこにあった営みを想起すると、延々と続く時の中に自分が生きていることを実感し、なんとも言い難い満たされた気持ちになる。

今回、瓦という産業に初めて目を向けることになり、その工程の中で、瓦を焼き上げる「窯」に、その営みを見つけられそうに感じた。

三州瓦の「窯」は、立地を集約し、拠点を移し、工場・関連産業・輸送網を結びつけ、三河地方の都市空間を形成し続けている。

まず、窯跡をプロット(図1)した。三河地方の中では東三河から西三河まで海沿い、川沿いの内陸までに広く分散している。かつての瓦作りは薪を焚べ続け徹夜で火の調整が必要など重労働であった(注1)。手作業で全ての過程が行われ、大量生産もなかった時代には、それぞれの生活拠点や住居に「窯」を持っていたと考察することができる。また、「窯」が特に多く分布している渥美半島は農業には不向きな土地であった。そのために、瓦業に従事する人材も豊富だった(注2)。

中世の渥美半島の「窯」は、資源があり生産ができる場所が、同時に生活拠点として分散していたことがわかる。

三河地方に現存している瓦工場のプロット(図1)を見てみると、全て衣浦湾周辺の工業地帯に集約している。洋瓦、塩焼瓦、トンネル窯、カラフル瓦と常に新しい挑戦を続けた三州瓦は、昭和後半から無公害で大量に効率よく焼き上げていくようになった(注3)。分散していた「窯」は、近代化に伴い工業地帯に集約したことが見て取れる。資源に依存して各地に分散していた生産拠点は、輸送効率と大規模生産を前提として沿岸部に集約されることで、工業地帯が形成されたのである。しかし、現代の三州瓦産業は単に一箇所へ集約されたわけではない。現在の「窯」での生産には、精緻な金型、釉薬、機械設備、輸送といった複数の工程が必要であり、それらは瓦工場の内部だけで完結しているわけではない(注4)。瓦工場の周辺には関連する製造業や物流の拠点が分布(図2)しており、瓦産業が地域内の分業によって支えられていることが読み取れる。

つまり、かつて生産と生活拠点ごとに分散していた「窯」は、近代化によって衣浦湾周辺へ集約された一方で、その周囲には関連産業のネットワークが形成された。三州瓦の生産空間は、個々の窯の集合から、地域全体で機能する生産システムへと変化したのである。

瓦を屋根に敷くためには、粘土を採土し、形成し、「窯」で焼き、取り出して運搬する必要がある。これらの工程は面と点と線で捉えることができる。矢作川の河口を中心に三河地方にまばらに広がる埋蔵粘土の採土という面で行われる作業、「窯」で焼き出すという点の行為瓦の運搬に使われた矢作川・三河湾から出る尾張廻船、弁財船に乗せられて大消費地江戸へと運ぶ流れを線の行為。今回は「窯」という点に着目したが、その「窯」は、中世・昭和・現代と時を経て分散した点の状態から、地域全体で面で形成する産業ネットワークへと変化していた。

注1
瓦WEB「三州瓦の歴史」
https://kawara.gr.jp/01_rekishi/rekishi13.shtml(2026年5月11日閲覧)
注2
瓦WEB「三州瓦の歴史」
https://kawara.gr.jp/01_rekishi/rekishi07.shtml(2026年5月11日閲覧)
注3
瓦WEB「三州瓦の歴史」
https://kawara.gr.jp/01_rekishi/rekishi07.shtml(2026年5月11日閲覧)
注4
宮川,泰夫「風土文化の革新と三州瓦産地の変容」
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/8559/scs01p029.pdf(2026年5月11日閲覧)

寄稿者
N.K.
N.K.
慶應義塾大学 細谷浩美研究室
こんにちは。細谷浩美研究室の四年生です。今までの成果物はほとんどがマッピングで、今回もマッピングで瓦の変遷を分析してみました。瓦の文章を考えているときは、遊園地の観覧車に乗っているときもついつい瓦屋根の建物を探していました。瓦屋根の建物は伝統や荘厳さを感じる風格があります。防災の観点など一概に瓦を使い続けようとは言えませんが、瓦の作る伝統的な風景を町の一角にでも残していきたいなと感じます。
記事URLをコピーしました