瓦の建築考

記憶の建築(周防貴之/建築家、SUO代表)

周防貴之

記憶の建築

「記憶の建築」、私にとってはあまり馴染みのないワードであった。現代建築の価値観に慣れ親しんでいる私にとって、建築における記憶というものは、意識はしているけれど、進んで設計の主軸に置いてこなかった対象であった。何かウェットで捉えどころのない、つまり、設計対象として扱いづらいものの象徴のようなものだ。そんな私にとって、混ぜるな危険とも言える2つを、建築が作り出す場として統合できないかと依頼してきたのは、映画監督の河瀬直美さんだった。この建築は、来年開催される大阪・関西万博のテーマ館の一つ、河瀬直美さんがプロデュースするパビリオンである。映画という表現方法で、人の心情や記憶といった個々人に内在する形のないものを、国境を超えて美しく届け続けている河瀨さんからのこの言葉は、私にとってとても重たく、そして私個人を超えてこれからの建築に携わるものとして避けて通ることのできないこととして感じられ、向き合う覚悟を決めた。

建築における記憶とは何か。よくよく考えてみると、建築はある特定の人たちに何十年、場合によっては何百年と使い続けられるものであるにも関わらず、記憶や時間という概念が自然に結びついてこなかったのかがとても不思議に感じたほどだった。現代の建築は、建築を構成するものをコントロール可能な対象として扱うことで、それらを組み合わせてまるでプログラミングされた論理的な系として捉え、コントロールの効かないものは設計の主軸からは意図的に外してきたのかもしれない。説明可能なものは出来上がった建築の効果が期待しやすく、投資効果も予測しやすいという経済効率を最大化することが価値の判断基準として作られた時代の価値観によるものだったのかもしれない、設計を進めながらそんなことを考えた。

「記憶の建築」はどうすれば、万博会場という土地の記憶のない埋立地に作ることができるのか。チームのメンバーとアイデアを出し合った結果、すでにある建築を使って、新たに見たことのない形の建築を作り出すというアプローチに可能性を感じた。そして、幸運にも廃校を譲り受けられることになった。使われなくなって久しい建築に、記憶は残されているだろうか。視察に行った際に初めて訪れた建築であるはずなのに、生まれも育ちも年齢も違ったメンバーたちが口々に懐かしいと言った。鉄筋コンクリートの学校に通ったメンバーたちが感じた、70年以上も前に作られた木造校舎に保存されている経験したことがないはずの記憶や気配。まるで自分の母校にいるかのように振る舞うメンバーたちを見て、建築に宿る記憶は当事者でなくとも、同時代性がなくとも、何らかの理由で、時間や個人の経験を超えて伝わるのかもしれないと感じた瞬間だった。何がどのように作用して、その場所を身近に感じさせているのかはわからない、でも、確実に何かその場を構成している無数のものが作り出す総体が、場の記憶として何か語りかけてきていた。手探りで始めた「記憶の建築」の手がかりが見つかった気がした。

記憶のとどめることのできる場であるためには、必然的に耐久性を求められることになる。ある意味では、世界に長く存在できること、それ自体が価値と言っても過言ではないかもしれない。長く存在できるということは、その時間分、多くの人とその場を共有できるということでもある。例えば70〜80年前から存在する小学校は、そこに通う小学生にとっては、自分の祖父母の世代、両親の世代が自分と同じ子供時代を過ごした場でもある。世代を超えて受け継がれる場。不特定多数の人に対して開かれていることが公共性だとするならば、長く存在する建築には、時間軸に広がる公共性が存在すると言ってもよい。そういう意味で、耐久性には多分に公共性が含まれているとも言える。そういえば、私が京都に住み始めて驚いたことがあった。東京に住んでいた時に、企業の価値とは会社の規模が大きく、経済的なインパクトを多く出していることだと信じていたが、何百年、あるいは十何代続く京都の企業の価値観は、全く違うものだった。売上や利益ではない、いかに長く続いていられるか、次の世代にバトンタッチできるか、が最も大事にされている価値観であった。そのために、長期的なビジョンを持って新しいことにもチャレンジする。そうした価値観を知ることは当時の私にとっては目から鱗が落ちる経験だったし、京都という環境においてはとても腑に落ちるものだった。

「記憶の建築」は、設計の手を離れ、日夜職人たちの手作業によって形作られている。廃建築を手作業で丁寧にバラし、埋立地である夢洲という場所において、現代でしかできな方法でこれまでとは違った形に生まれ変わらせる。変形したり、朽ちてしまってたりしてる部分も少なくないので、手間も暇も想像以上にかかっている。組み上げられた秩序はやがて崩れていくという自然の摂理から少し脱線して、新たに秩序を与えるという実験的な行為は、決してSDGsやアップサイクルという今日におけるマジックワードで簡単に回収できるような代物ではないと身に染みて感じている。時間を遡って単にノスタルジーに浸るのではなく、昔から繋がる今が存在することを感じ、そして未来を想像できる建築であって欲しい。果たして廃建築に保存されていた記憶を、別の形で再構築される建築にも宿すことができるだろうか。そして異なる文化的バックグラウンドを持つ外国の人たちにも伝わるだろうか。万博というテクノロジーオリエンテッドな価値観で作られる場において、「記憶の建築」が新しい建築の可能性を広げるものであって欲しいと願っている。

寄稿者
周防貴之
周防貴之
建築家、SUO代表
慶應義塾大学大学院理工学研究科を修了後、妹島和世建築設計事務所・SANAAを経て、2015年にSUOを設立。建築設計を中心に活動し、Chim ↑Pom「ハッピースプリング」展(~2022/森美術館)の展示構成をはじめ、アーティストや様々な作家との協働による建築プロジェクトも進めている。主な建築作品として、れいがん茶屋(2021/香川県)、高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」(2022/香川県)、Danh Vo House (2024/京都府)、大阪・関西万博テーマ館河瀨直美パビリオン(〜2025/大阪府)などがある。プロフィール写真 © Naoki Ishikawa
SUO
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