瓦の建築考

猿島要塞の煉瓦:建築と自然の共侵食(佐田野透/慶應義塾大学理工学部佐野哲史研究室修士課程)

佐田野透

(美しい煉瓦なら猿島がよかったよ。)  

父からこの言葉を聞き、横須賀を訪れた。  

無人島である猿島要塞には元々砲台が設置され、東京湾の入り口を守る要塞であり、江戸時代から続く国防の要所という荒々しくも力強い歴史がある。そして、この戦争の歴史や生き物の残酷さは美しく浮かぶ煉瓦の空間と我々人間が生きる大地を唯一繋ぎ止める舫なのであった。

隠蔽される建築

港には戦時中の軍艦が残っていて、その隣の船乗り場から猿島を目指す。船が動き出すと、あっという間に緑で覆われた島が迫ってくるが、一向に父の言っていた美しい煉瓦が見えて来ず、実在するのか不安を抱いていた。そんなことを考えていると、白い砂浜と長く突き出た船着場に出迎えられ、いよいよ大量の観光客で溢れた無人島に上陸だ。

埋め込まれた煉瓦

錆びた機関銃やコンクリートに覆われた煉瓦の煙突を横目に坂を登っていくと、石積みの崖が立ち現れ、ゴツゴツとした壁は苔でぎっしりと覆われ、神秘的な空気を作り出していた。さらに進むと長い一本道に出た。道の両側には2階分程の高さの石壁と生い茂った木々が空高くまで存在し、柔らかく有機的な光の輪郭を認識できた。しばらくその風景に見惚れていると、次はその石の壁から赤褐色の煉瓦が顔を出していることに気づいた。  

ようやく、美しい煉瓦がはっきりと目の前に現れた。

猿島は元々要塞であったため、島の外から施設の存在が見えないように島の中央に山を切り込み、要塞施設をその崖に埋め込むという形になっている。この策略的な隠蔽によって煉瓦との遭遇が遅れたことは確かである。実際に猿島の煉瓦は国家の軍事力の誇示を目的とした大きく存在感のある建築ではなく、意外にも周囲の自然物と共鳴し美しい風景を作り出していたのだ。そして、その煉瓦に吸い寄せられるように近づいていくと、そこには多彩な自然と煉瓦の共鳴があった。

煉瓦と自然の共鳴

煉瓦に近づくとさまざまな自然との関わりが見られた。特に煉瓦と光の関係は、島に埋め込まれた煉瓦の内部空間において顕著に見られた。トップライトからの光は、奥行きのある煉瓦の内壁に濃淡を持って、美しく映し出されていた。内部を進むと、緩やかな光の階調の変化が明るい入り口から真っ暗な奥の空間までの間に暗順応を引き起こし、瞑想の導入のような空間体験をすることができた。この光の階調は煉瓦のまだらさとフランス積みによる複雑なモザイクが作り出していた。

煉瓦は土を固め、陶器と同様に焼いているため製造所が同じでも色斑が出る。煉瓦の赤褐色のまだらさや濃淡、表面の模様がさまざまな表情を作り出し、光と影の境界線をぼかしている。さらに猿島は明治初期に要塞として整備されたため煉瓦造でも珍しいフランス積みが多く残っている。フランス積みがイギリス積みやオランダ積みなど他の積み方よりも優美で美しい積み方とされているのは、煉瓦の小口と長手が壁面上に複雑に混在しながら現れるからだ。このフランス積みが影のシャープさをやわらげ、光の階調を緩やかにしている。

共侵食

自然と煉瓦の共鳴は、煉瓦が土からできていることや緑と赤の補色の関係にあることに加えて、互いに侵食し合う関係にあることが原因である。  

例えばこの写真からは自然、煉瓦、石の取り合いと侵食の様子が見て取れる。煉瓦や石壁という建築物に苔や植物などの自然が侵食してきているのを、煉瓦の部分だけは人の手入れによって防いでいる。煉瓦をよく見ると、黒ずんだ部分はカビや苔に侵食された印であるし、白い部分は雨水によって煉瓦や接着部分のモルタルなどが流出し空気と反応することで侵食されたことが分かる。  

少し歴史を遡ると元々は猿島という自然を人が削り取り、煉瓦の建築や石壁で囲うことで侵食したとも言える。自然と建築、猿島と煉瓦は共に侵食し合う関係にあり、そのせめぎ合いの断片的な光景が美しい煉瓦の空間の正体なのである。この自然と建築の共侵食は美しい煉瓦に隠蔽性を与え、煉瓦の発見が遅れたもう一つの原因となっていたのだ。

建築と自然の取り合い

猿島の煉瓦や石のような建築と自然の共侵食が織りなす空間は互いに共鳴、隠蔽し合うことで神秘的かつ美しいのだ。そして、島が時折見せる石壁の銃痕や錆びた機関銃、ネズミが逃げ回るムカデを捕食するシーンは私に戦争の歴史や生き物の残酷さを思い出させ、神秘的で美しい煉瓦の空間と自分の身体の一体化を可能にする。この現象によって空間と身体の境界線が曖昧になり、一緒に上陸した大量の人々とも心地よい時間の共有ができたのだ。

帰りの船に乗り込む頃には父が「美しい煉瓦」といった理由に察しがついていた。煉瓦造の建築は多く存在するが、自然と共侵食の状態にある美しい煉瓦を見るなら猿島要塞に隠された煉瓦が良いという意味だったのだろう。  

帰りの船はゆっくりと私と猿島の空間の繋がりを引き剥がしていった。

・参考文献:

1.

RCR Arquitectes. Geography of Dreams, TOTO出版, 2019

2.

長谷川堯. 神殿か獄舎か. 鹿島出版会, 2007

寄稿者
佐田野 透
佐田野 透
慶應義塾大学理工学部佐野哲史研究室修士課程
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