外から見ると、まるで以前からずっとそこに建っていたかのように見える。けれど玄関をくぐった瞬間、空気の抜け方と光の質ががらりと変わる。建築家・中野晋治さんが設計した『松橋の住宅』は、新築でありながら周囲の景観にすっと溶け込む雰囲気をまとい、同時に内側にはモダンな質感を忍ばせています。
熊本地震を経て建て替えを余儀なくされたこの住まいで、屋根に防災瓦を選んだ理由とは。本稿では設計の背景やストーリーとともに、瓦がつくる佇まいの強度、瓦のある街の風景について、中野さんに伺いました。

profile

中野晋治

1984年山口県生まれ。2006年、日本文理大学工学部建築デザイン学科卒業。2011年、中野晋治建築研究室設立。福岡を拠点に住宅を中心とした設計活動を行う一級建築士。場所や人、時代に応じて選択肢を広く持ちながら、表現手法を限定しない柔軟な設計姿勢を大切にしている。

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「スタイルを固定しない」という作風

昔ながらの住まいが残る街並みの中で、周囲の風景に馴染むよう計画された外観。
昔ながらの住まいが残る街並みの中で、周囲の風景に馴染むよう計画された外観。

中野晋治さんは福岡を拠点に活動する建築家です。出身は山口県萩市。大学は大分県へ進学し、その後、福岡の設計事務所を経て独立。中野晋治建築研究室を立ち上げ、九州を中心に住宅の設計を行っています。

「24歳くらいで福岡の事務所に入って、約3年働いた後に27歳で独立しました。福岡が拠点ですけど、出身も学生時代を過ごした場所もここではないこともあって、そんなに土地に属しすぎていない感覚があるんです」

物腰柔らかな語り口の奥には、場所や人に合わせて選択肢を広く持つ姿勢が垣間見えます。手がけた仕事を振り返ると、木造在来工法の平屋もあれば、木の温もりを活かした店舗内装、ソリッドな鉄筋コンクリートの質感が効いた三世帯住宅まで、アプローチは実にさまざま。中野さんは作風を固定することに慎重で、むしろ揺らぐことを前提にしながら、揺らがない部分だけを決めていくと言います。

「決まった形式やスタイルを繰り返すというよりも、その場所や時代、施主さまの好みに合わせて選択肢を広く持つようにしています。個人的にも毎回同じ手法だと飽きてしまうので(笑)。ただ、建築って人間が唯一骨格からつくれるものだと思っていて、その上で構造はできるだけシンプルにすることを意識しています」

揺らぐことを前提にしながら、揺らがない部分を決める。その設計哲学は、2019年に熊本県宇城市に建てられた『松橋の住宅』にも息づいています。

土地に根付いた「越屋根」をヒントに

地域に積み重なってきた風景の中に、違和感なく溶け込むよう設計された外観。
地域に積み重なってきた風景の中に、違和感なく溶け込むよう設計された外観。

『松橋の住宅』は、定年退職を控えたご主人が、熊本地震をきっかけに住まいの建て替えを決めたことからはじまりました。かつて高齢の母が暮らしていた母屋は被災によって解体を余儀なくされ、新たな住まいとしてこの家がつくられたのだそうです。敷地は、幹線道路へとつながる抜け道沿いの三角形。周辺には昔ながらの住まいが残る一方で、新しい家も少しずつ増え、街の表情がゆるやかに変わりつつありました。

そうした環境のなかで、ご夫婦はこの場所を住み継ぐことを選びます。その気持ちに寄り添うために、中野さんが目指したのは、かつての母屋のような、おおらかで力強い建築でした。背の高いブロック塀で囲ったその敷地は広く、庭木や納屋を除いても、平屋でも十分なゆとりを確保できる条件が整っていたと言います。

しかし、敷地に余白があるからこそ、南北東西のどこか一面だけを「正解」として開くのはもったいない。中野さんは、方角の優先順位そのものを消していくように、断面から住まいを組み立てていきました。

鍵になったのは、屋根を一部持ち上げ、上屋と下屋の間をハイサイドライト(高窓)とする方法です。これならブロック塀で囲まれた住宅街においても、上から安定した光を招くことができます。

持ち上げた屋根の間から光を取り込み、住宅街の中でも安定した採光を実現している。
持ち上げた屋根の間から光を取り込み、住宅街の中でも安定した採光を実現している。

「東西南北の環境に対して、序列を消すような光の入れ方がないかなと思ったときに、ぐるっと囲ったようなハイサイドのアイデアが出てきたんです。屋根の形で最適解を模索していたのですが、この地域に多く見られる“越屋根”が閃きを与えてくれました。

越屋根やハイサイドは通気という面もありますが、今回着目したのは採光のよさ。また、プライバシーを保ちながら自然光を取り入れる点も暮らしやすさに繋がっています」

高い位置から入る光は生活の動線に影を落としにくい。中野さんは空間体験の発見として、こんな話もしてくれました。

高窓からのやわらかな光が差し込み、明暗の差が空間の輪郭を自然に立ち上げる。
高窓からのやわらかな光が差し込み、明暗の差が空間の輪郭を自然に立ち上げる。

「家の真ん中が吹き抜けで採光となっているので、自分の影が落ちないんですね。いわゆる手術のときの無影灯みたいに、全方向から光が当たる感じです。さらに、ハイサイドの外側へ行くと影が一気に濃くなる。その明暗の差が、居場所の輪郭を自然に立ち上げていきます。知り合いがこの家を見たときに『ヨーロッパの教会でみられる、バシリカ形式と同じ作りだ』とコメントしてくれました」

家の中心にある“機能”で回収されない空間

単純な架構の反復を基盤にしながら、光と視線が抜ける内部空間を形づくっている。
単純な架構の反復を基盤にしながら、光と視線が抜ける内部空間を形づくっている。

この住宅の構造は、2,730×2,730mmのグリッドを反復させた単純な架構が採用されています。各室はその定型グリッドを微調整しながら構成。可動間仕切りや梁上の開口によって空間同士をゆるやかにつなぎ、光の通り道も確保する。そんな設えが全体に貫かれています。

ハイサイドによって生まれた家の中心部は、吹き抜けのようなボリュームをもつリビング・ダイニングです。その周囲に個室や水回りを配置していますが、中野さんは暮らしの中心を、リビングやダイニングといった機能の言葉だけでは定義しきれないと言います。

「ある意味、この家の中心の空間には特定の機能がないんです。例えば、キッチンではご飯を作ったり、お風呂場では身体を洗ったり、寝室では休んだり、普通は部屋に主目的がありますよね。でも、実は『くつろげる場所』って機能はほぼないに等しい。あるのは『ふわっとした真ん中』だけで、主目的がないんです」

用途を固定しない中心があることで、家の中の居場所はひとつに定まりません。平屋でありながら、歩くたびに光と影の濃淡が移ろっていく。屋根の持ち上げは外観の特徴であり、同時に内部体験を組み替えるための装置でもありました。

熊本城の記憶と、瓦への先入観

夕暮れには、ハイサイドから漏れる室内の光が瓦屋根の表情をいっそう際立たせる。
夕暮れには、ハイサイドから漏れる室内の光が瓦屋根の表情をいっそう際立たせる。

屋根の形が定まりはじめるのと並行して、屋根材の検討も進んでいきました。けれども、この家で屋根を語るときに避けて通れないのが、熊本地震の記憶です。ニュース映像のなかで象徴的に映し出されたのが、熊本城の被害でした。中野さんも当時を思い返しながら、率直にこう語ります。

「地震のとき、熊本城の瓦が全部外れた映像の記憶が強く残っていて。瓦って一般の方からすると“落ちやすい=危ない”というネガティブなイメージがあるのかな、と勝手に思っていたんです」

その先入観もあり、中野さんは軽量な新建材の屋根も含めていくつかの選択肢を提示しました。ところが、施主から返ってきたのは「やっぱり瓦にしたい」というはっきりとしたひと言だったといいます。

地震の際、熊本城の瓦の落下を被害と見るか挙動と見るかは、見方によっても変わります。メディアでは「瓦が落ちたことが大変だ」と報じられる一方、専門家のなかには「落ちることで上部の重量が減り、揺れを軽減した」と説明する声もあったといいます。
瓦は「重いから危ない」と単純に切り捨てられない存在。だからこそ、次に問われるのは瓦にするならば、どう安全側へ設計するか。素材の是非ではなく、設計の方法論へと論点が移っていきました。

瓦屋根にしたい。少し意外だった返答に、中野さんは背中を押された感覚になったそうです。
「自分でも気づかないようなところを受け入れることで、建築がもう一段階ジャンプした印象がありました。土地の記憶を抱えながらも、瓦という素材に惹かれる感覚。それを設計の推進力として引き受けた瞬間でしたね。

また、高窓が設けられた屋根を瓦葺きにすることで視覚的にも引き締まり、上部の屋根がふわっと浮いて、屋根が二枚に分かれているように見えます。その重さと軽さの対比が、よりはっきりと出る結果にもなりました」

瓦屋根がもつ量感を否定せず、むしろ活かしながら、持ち上げた部分で軽やかさをつくる。瓦を選んだことで、この家の断面が狙っていた「重さ」と「軽さ」の対比は、より明確な輪郭を得ていきました。

「防災J形瓦エース(銀鱗)」という現実的な選択

柔らかな光に照らされている鶴弥の防災瓦「防災J形瓦エース(銀鱗)」
柔らかな光に照らされている鶴弥の防災瓦「防災J形瓦エース(銀鱗)」

では、実際にどのような瓦を選ぶべきか。検討を重ねた末に採用されたのが、鶴弥の「防災J形瓦エース(銀鱗)」でした。

「恥ずかしながら、僕はこれまで手がけた家で瓦を使ったことがなくて、これをきっかけにあらためて瓦について勉強しました。色や形はもちろんですが、瓦は土地の色が出るものなので、九州地方の瓦についても調べたりもしましたね。そうしているうちに、早々に鶴弥さんの瓦が候補に上がりました。小さい頃にテレビから流れていた鶴弥の印象的なテレビCMが記憶にあって名前は知っていたんですけど、実際に商品を見ると幅広いラインナップがあることもわかりました」

もちろん、素材選定は建築家の理想だけで決まるものではありません。予算とのバランス、施主の意見、現場の納まり。そうした条件を見比べながら、中野さんは施工側と一緒に落としどころを探っていきました。

そのなかで目に留まったのが、鶴弥の防災瓦でした。地震や台風、大雨といった災害への備えを意識したシリーズとして展開されており、耐震性や防水性といった観点からも検討しやすい。中野さんは、屋根材を「意匠」だけでなく「備え」として捉え直す視点が得られたと振り返ります。

「その辺りも総合的に見て、価格帯もそうですし、非常に採用しやすかったという印象でした」

和瓦か、平瓦か。「光がつくる表情」が決め手に

夕景のなか、越屋根の開口から漏れる光が瓦屋根の表情をやわらかく浮かび上がらせる。
夕景のなか、越屋根の開口から漏れる光が瓦屋根の表情をやわらかく浮かび上がらせる。

瓦の表現は、いまや和形だけではありません。フラットな平板瓦も普及し、現代的な住宅に合わせた選択肢は広がっています。では、なぜ『松橋の家』では和瓦だったのか。中野さんが挙げたのは、趣味嗜好というよりも「光がつくる表情」の差でした。

「今回の家は“和風”というものに軸足を置いてつくっています。そうなると、瓦屋根に光が当たったときの“ウロコ感”みたいなものは、やっぱり和瓦ならではなんですよね。平瓦だとそのテクスチャーがスムーズになりすぎてしまうと判断しました」

中野さんが言う“ウロコ感”とは、瓦が連なったときに生まれる陰影のリズムのこと。小さなピースが集まることで、屋根面が一様にならず、時間とともに表情が変わっていきます。銀鱗という色味もまた、強い主張で押し切るのではなく、光の角度に応じて静かに存在感を変えていく……。その変化を受け止める土台になっていました。さらにこの家では、ハイサイドライトから漏れる光が、屋根の見え方に思いがけない発見をもたらしたと言います。

「光の屈折や反射の仕方が変わって水面のように見えたり、ウロコのように見えたり。目にする角度によってその光が変わり、異なる質感をみせてくれる。日が暮れたあとは、ハイサイドから漏れる室内の光が瓦に当たって、さらにその奥深い表情を際立たせていました」

塀に囲まれた敷地で、上から光を招き入れる断面構成と、屋根が生む陰影。その両者が立ち上がることで、『松橋の家』の外観は派手さとは別の魅力を獲得していきます。一方で、瓦を選ぶことは、設計を「図面の中で完結させない」ことでもありました。

「僕の図面に描いたディテールって、ほとんど金属屋根みたいな感覚で描いていたんですよね。でも、瓦ってそうじゃないんだなって思いました」

下地の寸法、軒先の出、角の納まり。瓦の論理に合わせて微調整が入り、その場で瓦屋さんや大工さんの経験値が生きていく。瓦屋根は現場で協議しながらつくっていく建材なのだと、あらためて実感したそうです。

中野さんは話のなかで、「土着性(バナキュラー)」という言葉も口にしました。ただしそれは昔ながらの郷愁をまとった特別なものとして、瓦を持ち上げるためではありません。

「周りの家も、壁などには新建材を使いながら、屋根には瓦が乗っていたりする。でも、それこそが現代の土着性なんじゃないかと思うんです。この家がリノベーションに見えるほど景観に馴染むのは、懐古ではなく、いまの普通を丁寧に組み直した結果。今はそう感じています」

屋根が支える、暮らしの土台

明快な柱梁の構成が、この住宅の伸びやかな空間の骨格となっている。
明快な柱梁の構成が、この住宅の伸びやかな空間の骨格となっている。

プロジェクトを進める過程でもさまざまな発見があったという「松橋の住宅」。完成後に訪ねた際のエピソードが、施主のこの家に対する愛着の強さを物語ります。

「メンテナンスでお伺いすると、先にご主人が屋根の上にのぼられていて、毎回屋根の上から『こんにちは』って挨拶されるんですよ(笑)」

危ないからやめてほしいと中野さんは苦笑いしますが、触れていたくなるほど気に入ってくれていることに、とても喜びを感じているといいます。日本の伝統を感じられる瓦には、ただの建材としてだけではなく、愛用の道具のように心を惹きつけるものがあるのかもしれません。屋根を持ち上げ、光の序列を消す断面を作り出す。その上に、J形の和瓦が陰影を刻む。震災の経験を引き受けながらも、ただの「安全な箱」に回収されない佇まいが、そこにはあります。

ただ、一方で現代の住宅で瓦を選ぶことは、ときに「こだわり」や「特殊な選択」として語られがちです。しかし、『松橋の家』が示しているのは、瓦が性能だけでなく、街の景色と日々の実感を静かに支える素材であること。特別な意匠として持ち上げるのではなく、ごく普通の素材として、暮らしの安心として。そして、小さなピースが集まって生まれる陰影のリズムとして。屋根からつくる、現代の土着性。周辺環境がゆるやかに変化していく郊外の住宅地で、地域の文脈を汲み取りながら、住み継ぐための建ち方を探る。防災瓦は、その当たり前をもう一度積み重ねるための、現実的で確かな選択肢になっているのかもしれません。